音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

問題関心:自由主義について

思想史研究者はしばしば、自分の研究対象の思想にシンパシーを覚える。かくいう自分もこれまで「自由主義」思想の研究をしてきたわけだが、他の思想と比較して、自由主義にもっとも共感を覚えている(もっとも自由主義それ自体、きわめて多義的なイデオロギーであるが)。自由主義の中心理念である、人権、多様性の尊重、自由を通じた社会秩序形成、といったものに惹かれる自分を自覚することができる。
 ともあれ、自由主義も完璧な思想ではない。とりわけ、(1)格差と貧困の放置、(2)公的領域からの女性の排除、(3)知的・精神障害者社会的排除、の三点は、自由主義の論理そのものから、歴史的に正当化されてきた側面が大きい。これらの社会的課題を、自由主義の放棄ではなくそのバージョンアップによって思想的に克服できるかを、今後も考えていきたい。そのためには、ミル、グリーン、ロールズらによる自由主義思想(リベラリズム)はもちろんのこと、上の三点それぞれの観点からの自由主義批判(社会主義フェミニズム、障害学およびケア倫理学)についても、深く検討していく必要があると感じている。

近況:紀要論文を書いています

久々のブログ。結局この夏はこまごました家のことや論文執筆に追われて、まったく更新できなかった。自分の要領の悪さ、仕事の遅さがいつもながらの課題。本当は7月に行ったイギリス理想主義ワークショップの記録も書きたいのだが…。それはまたいずれ。

執筆中の論文というのは学内の紀要論文で、これまでの研究とは少し趣を変えて、20世紀初頭イギリスの優生思想について、はじめてまとめてみた。はじめはカール・ピアソンについて書こうとしたけどうまくいかず、もう少し範囲を広げて、アルフレッド・トレッドゴールドやメアリ・デンディの知的障害者論について主に書いた。今日ひとまず第一稿を書き上げることができてほっとしている。しかし論文のクオリティは、自分で読んでも正直うーん、という感じ。新しいテーマなだけに、一次文献の読み込みがいろいろ足りてないし、構成も今いち。はじめの方のゴルトンやピアソンの話とかはいらないのかも。査読論文だったらおそらく大幅な修正を要求されるだろう。ともあれ、この論文を皮切りに、イギリス優生思想史についても今後さらに研究を深めていきたいと思っている。

来週から新学期が始まる。また授業と校務に追われる日々だが、実は論文の締め切りも12月と3月に一本ずつあって、なにげに忙しい。後期は授業数が例年プラス1の週7コマだし、健康を保てるかが不安。ここ数年は、仕事と家事育児の忙しさによる疲労と寝不足から冬に毎年体調を崩している(去年は帯状疱疹にかかり、おととしはインフルエンザに苦しんだ)。今年はそうならないことを願うばかりだ。

報告原稿を書いています

この2月3月はけっこう文献を読み進められました。学生の海外引率がこの冬はなかったことが大きいです。しかし肝心の執筆の方はあまり進まず、新年度の授業開始が見えてきた焦りから(貴重な研究期間が終わってしまう!)、ようやく3月後半から筆が進むようになりました。

7月に某所で報告をする予定なのですが、テーマに悩んだあげく、結局3つほど前の記事で今後の課題として取り上げた2つのテーマ(T.H.グリーンの倫理思想とイギリスにおける障害者の歴史)の合わせ技でいくことにしました。グリーンは知的障害について何と言っていたか、知的障害者の権利についてグリーンの倫理思想から何を言えるか、こういったことを考えつつ、いま報告原稿を書いています。

最初はちょっと強引な問題設定かな?と思いましたが、書き進めていくうちに、意外と面白いテーマであることが見えてきました。イギリス理想主義研究としては珍しいタイプの報告だとは思いますが…。聴いていただく方々にどのように受け止められるか、今から期待半分、不安半分です。

自立と介入の適切な関係とは?(知的障害者福祉をめぐって)

引き続きイギリスの知的障害者福祉の歴史を勉強中。以下の本は、第二次世界大戦後から2001年までの知的障害者をめぐる思想、政策、生活実態、国際比較が網羅的にまとめられていて、基礎知識やイメージを得るうえでとても有益だった。ただし、著者たちはイギリス保健省の出した2001年白書Valuing Peopleを、知的障害者福祉の目指すべきゴールとして理想化しているふしがあり、その点はやや気になった。Valuing Peopleは、「自立、選択、権利、インクルージョン」の4原則を、知的障害者福祉の新たな理念に掲げている。その意味では、「恩恵から権利(シティズンシップ)へ」、という社会福祉史・障害者福祉史の大きな流れに沿うものではある。しかしながら、自立や選択の過度の優先は、知的障害当事者のQOLや、安全にとって必要な介入を怠ってしまうことにもなりかねないのではないか。(政治哲学的にいえば、古典的な「消極的自由」と「積極的自由」の問題につながりそうだ。)


Community Care in Perspective: Care, Control and Citizenship

Community Care in Perspective: Care, Control and Citizenship


そんなことを感じながら他にも文献をサーチしていたら、以下の論文で、選択の自由を重視するリベラルな権利論が、知的障害者福祉と鋭い緊張関係にあることが指摘されていた。

Rachel Fyson & John Cromby (2013) 'Human rights and intellectual disabilities in an era of 'choice'’, Journal of Intellectual Disabilities Research, 57, 12: 1164-1172.


この論文でも言及されているように、イギリスでは2007年に、重度の知的障害の男性が健常の「友人たち」と自立生活を送っていたところ、同居人からひどい虐待を受けたのちに殺害されるという、痛ましい事件が起きている。その際、とくに問題視されたのは、ソーシャルワーカーが彼の生活状況を把握していたにもかかわらず、同居人からの危害のリスクよりも男性本人の「自由」を優先し、介入を行わなかったことだ。以下のガーディアン紙の過去記事には、事件の生々しい詳細が記されている。

Tortured, drugged and killed, a month after the care visits were stopped’(4Aug2007, The Guardian)


障害一般についても言えることであろうが、判断や選択においてサポートを必要とする知的障害者にとって、「自立と介入」あるいは「自由とケア」の関係は、とくに丁寧に考察されるべきであろう。パターナリズムに陥らない適切な介入とは、どのようなものであるべきだろうか。

マシュー・トムスン『精神薄弱の問題――イギリスの優生学、デモクラシー、社会政策1870-1959』


The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)

The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)


10日ほどかけて読了。面白くてどんどん読み進められた。対象とされている主な時代は、知的障害者の施設収容を法制化した精神薄弱者法(Mental Deficiency Act)の成立(1913年)から戦後NHS体制ができあがる1940年代まで。それ以前は救貧院や監獄、家庭などにいた知的障害者が、ソーシャルワーカー精神科医によって分別され、障害者施設へと「保護」されていく、いわば障害者福祉の合理化の時代である。著者のトムスンは、大規模コロニーに代表される施設化が、家族・地域・地方自治体が協同で担ったコミュニティケアと並行して進められたという重要な事実や(つまり施設VS家族VS地域では必ずしもなかった!)、合理化の背後に、医師、看護師、ソーシャルワーカー、省庁どうしの利害が複雑に絡み合っていた事実を、丁寧に描きだしている。
また、この時代の米国や北欧諸国で広く実践されていた知的障害者への断種政策が、なぜか優生学発祥の地イギリスでは法制化されず、医師による実践も限定的であったという、優生学史研究でしばしば指摘される「謎」についても説得的な説明がなされている。この時代のイギリスには、個人の自由や身体への過度な公的介入を嫌うという独自のリベラルな政治文化が存在しており、また優生学者たちも必ずしも断種にはこだわらなかったのだ。
その一方で、知的障害者は市民のカテゴリーから排除され続け、T.H.マーシャルが定式化した市民権、政治権、社会権の主体とはなりえなかった。市民社会には障害の程度に見合った適切なケアを彼(女)らに与えるべきとの道徳的なコンセンサスがあった一方で、それは障害当事者のシティズンシップとセットだったわけではなく、あくまでパターナリズム権威主義の枠内のものであった。
この本を読んで改めて感じたのは、社会が高度に合理化されればされるほど、障害者のなかでもとりわけ知的障害者はより弱い立場へと追いやられてしまうということだ。そんな彼(女)らがそれでも声をあげることを試みた抵抗の歴史とはどのようなものであった(ありうる)か。この問いこそ、知的障害の歴史研究と障害学をつなげるひとつの重要なテーマとなりうるように思われる。

最近の関心事:トマス・ヒル・グリーンと障害の歴史

今学期も勤務先大学の授業は無事終了。ようやく少し腰を据えて読み書きができそうだ(まだ採点とシラバス執筆が残っているが・・・)。

最近は、トマス・ヒル・グリーンの倫理学を少ししっかり読んでいる。人間の本質を「他者と意識を介して関係する」ことに置くグリーン。その点で、ホッブズベンサムなどの原子論的な人間観とは大きく異なる人間観をもっており、ホブハウスなどのニューリベラリズムにも大きな哲学的影響を与えた。いま、きちんと理解したいのは、個人を社会的存在ととらえるこうした視点が、グリーンの倫理学にみられる「卓越主義」――個々人の潜在能力の発展を道徳的な善とする立場――と、いかなる理論的関係を取り結んでいたのか、という問題だ。彼の卓越主義は、果たして本質的に「社会」を必要とするのか?グリーンの哲学において、個人が社会的存在であることと、卓越が普遍的な善であることのあいだには、何か内在的な関連があるのだろうか。あるいは、両者は切り離して考えられるべきものか。この問いを、彼の主著であるProlegomena to Ethicsや、以下の文献を読み進めつつ考察している。


T.H. Green's Moral and Political Philosophy: A Phenomenological Perspective

T.H. Green's Moral and Political Philosophy: A Phenomenological Perspective

Perfectionism and the Common Good: Themes in the Philosophy of T. H. Green (Lines of Thought)

Perfectionism and the Common Good: Themes in the Philosophy of T. H. Green (Lines of Thought)


グリーン研究とあわせて学んでいきたいのは、19世紀末以降のイギリスにおける、障害者に対する政策や思想、施設や家庭でのケアの実態、そして障害当事者の運動だ。イギリス障害学の泰斗マイケル・オリバーが以下の本でマルクス主義の立場から喝破しているように、福祉国家が資本主義の延命装置だったとするならば、十分な稼働能力をもたない障害者は、福祉国家のもとでも常に「市民」のカテゴリーから排除される存在であり続けた。では、実際に障害者に対する社会的な排除(とそれに対する抵抗)は、どのような政策、思想、ケアによって行われてきたのだろうか。


障害の政治

障害の政治


この第二のテーマについては、子どもが生まれたことでケアの問題が身近になったことや、昨年7月の相模原の事件から強い衝撃を受けたことをきっかけに考えるようになった。また、思い起こせば修士論文でホブハウスの優生思想――知的障害者の排除を肯定する言説――にも触れたときから、いつかこのテーマについてしっかり学びたいと思っていた(当時の指導教官に修士論文で唯一褒められたのも、そういえばこの部分だった)。いまは、手始めに以下の本を読み進めている。知的障害者を対象とするさまざまな公的処遇――コロニーへの隔離、コミュニティケア、あるいは断種――についての、世紀転換期イギリスの政治家、官僚、精神科医らの思想と行動が詳細に検討されている。こういう一次資料を駆使した手堅い歴史学研究は自分にはとてもできなさそうだが、勉強するだけでなく、何らかのかたちで自分でもアウトプットしていきたいとも思っている。


The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)

The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)

R.ホフスタッター『アメリカの社会進化思想』


今度、社会進化論について論文を書くことになったので、基礎文献であるこの本も読んでみた。原著は1944年出版で、アメリカ社会進化思想史研究の古典とみなされている一冊だ。この本のなかで著者のホフスタッターは、ハーバート・スペンサーやグレアム・サムナーの社会進化論を特殊アメリカ的な保守思想として描いている(スペンサーはイギリス人だが)。すなわち、信仰や直感、共同体の経験知を重視したヨーロッパ保守主義の代表者バークの思想などと異なり、スペンサーやサムナーの思想は、世俗主義的で個人主義的、かつ慣習よりも契約を重視する合理主義的な特徴をもっていた。ホフスタッターは序章で、サムナーたちの思想が、彼らが「貪欲で無責任」と道徳的に否定した大実業家・財閥の急速な成長を結局は後押しすることになった事実を、「アメリカ思想史の皮肉」とまとめている。
第一章以降の本論では、社会学者レスター・ウォードや、ウィリアム・ジェイムズジョン・デューイプラグマティズムなど、社会進化論の批判者にも多くのスペースが割かれている。彼らは、スペンサーらの社会進化論の前提であった人間を生物学的法則に従属した受動的存在と捉える人間観と、競争を自然法則と捉える闘争的な社会観を、それぞれ拒否した。ウォードは1880年代の一連の著作で、政府による集産主義がヨーロッパで成功を収めている事実を指摘し、スペンサーやサムナーの自由放任主義を「古臭い妄想」と切り捨てた。また、ジェイムズやデューイは、人間を自然の一部とみなす一元論を保持しつつ、自然の条件下におかれてもなお、自然を作りかえる意志と能力を備えた主体的存在として人間を認識しなおした。
デューイはまた、人間が自然の意味を組み替え、それによって生存闘争の意味をも変えてきた側面に着目し、スペンサーやサムナーよりもニュアンスに富んだ<人間−自然>論を展開した。病人などケアの必要な人々は、スペンサーらの社会進化論では単に淘汰されるべき「不適者」とみなされるのに対して、デューイは、これらの人々も、自然や闘争の意味次第では、ケアや健康についての先見性や計画性、連帯感を他の人に与える「適者」とみなされうる、と指摘したのだ(p.172)。デューイの思想的な意義をここに見て取れた気がして、個人的にはとても興味深かった。
このほか、クロポトキンの『相互扶助論』やヴェブレンの制度派経済学、クーリーの社会心理学などの影響もあり、第一次大戦が終わるころには、「ダーウィン流の個人主義は19世紀の最後の数十年よりもはるかに細々としたもの」になった、とホフスタッターはまとめている(p.246)。
この本は、個人主義的な社会進化論の興隆と衰退をめぐる世紀転換期のアメリカの社会思想が詳細にまとめられた、いま読んでも得るところの多い一冊だった。だがその反面、社会進化論の「衰退」が主題であり、そのせいで20世紀以降の生物学的社会思想の影響力については過小評価されているように見えたこと、とくに優生思想や人種主義と社会進化論の関係についての議論が不十分であったことは残念だった。ホフスタッターは楽観的にも、現代アメリカでは「人間の身体的な福利(well-being)は社会組織のあり方の結果であって、その逆ではない…という結論」が広く認められるようになった、と結論づけている。
だがこの楽観的な結論には、直前に示された彼の次のような重要な洞察が活かされていないように思う。

ダーウィン個人主義の歴史は、社会思想の構造変化が経済・政治生活の一般的な変化に伴って起こるものであるという原理を示す明らかな例である。そのような思想が容れられるか否かを決定するに際しては、それが真理であるとか論理的であるとかいうことは大して重要な基準ではなく、むしろ心理的な欲求や社会一般の関心に適応しうるかどうかということが重要なのである。(太字引用者)

まさしく現代の日本やアメリカでは、社会進化論が過去に示した生物学的・闘争的・排他主義的な言説・社会観が人々の「心理的な欲求や社会一般の関心に適応」するようになってきた印象を受ける。この意味で社会進化論は、決してホフスタッターが言うように過去の思想とはなっていないように思える。