音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

マシュー・トムスン『精神薄弱の問題――イギリスの優生学、デモクラシー、社会政策1870-1959』


The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)

The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and Social Policy in Britain C.1870-1959 (Oxford Historical Monographs)


10日ほどかけて読了。面白くてどんどん読み進められた。対象とされている主な時代は、知的障害者の施設収容を法制化した精神薄弱者法(Mental Deficiency Act)の成立(1913年)から戦後NHS体制ができあがる1940年代まで。それ以前は救貧院や監獄、家庭などにいた知的障害者が、ソーシャルワーカー精神科医によって分別され、障害者施設へと「保護」されていく、いわば障害者福祉の合理化の時代である。著者のトムスンは、大規模コロニーに代表される施設化が、家族・地域・地方自治体が協同で担ったコミュニティケアと並行して進められたという重要な事実や(つまり施設VS家族VS地域では必ずしもなかった!)、合理化の背後に、医師、看護師、ソーシャルワーカー、省庁どうしの利害が複雑に絡み合っていた事実を、丁寧に描きだしている。
また、この時代の米国や北欧諸国で広く実践されていた知的障害者への断種政策が、なぜか優生学発祥の地イギリスでは法制化されず、医師による実践も限定的であったという、優生学史研究でしばしば指摘される「謎」についても説得的な説明がなされている。この時代のイギリスには、個人の自由や身体への過度な公的介入を嫌うという独自のリベラルな政治文化が存在しており、また優生学者たちも必ずしも断種にはこだわらなかったのだ。
その一方で、知的障害者は市民のカテゴリーから排除され続け、T.H.マーシャルが定式化した市民権、政治権、社会権の主体とはなりえなかった。市民社会には障害の程度に見合った適切なケアを彼(女)らに与えるべきとの道徳的なコンセンサスがあった一方で、それは障害当事者のシティズンシップとセットだったわけではなく、あくまでパターナリズム権威主義の枠内のものであった。
この本を読んで改めて感じたのは、社会が高度に合理化されればされるほど、障害者のなかでもとりわけ知的障害者はより弱い立場へと追いやられてしまうということだ。そんな彼(女)らがそれでも声をあげることを試みた抵抗の歴史とはどのようなものであった(ありうる)か。この問いこそ、知的障害の歴史研究と障害学をつなげるひとつの重要なテーマとなりうるように思われる。