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某大学教員の日記

『福祉国家の効率と制御―ウェッブ夫妻の経済思想』

福祉国家の効率と制御―ウェッブ夫妻の経済思想

福祉国家の効率と制御―ウェッブ夫妻の経済思想

 1980年代以降の福祉国家批判と福祉国家論の転換を受けて、思想史研究の分野でも、福祉国家の基礎を築いた過去の思想家を、今日の理論的関心に引き付けて読み解こうとする試みが行われています。本書もまた、これまでその社会主義的な側面が強調されがちであったシドニー・ウェッブおよびビアトリス・ウェッブの経済思想を、主流派経済学の産業進歩論やガバナンス論との親和性を踏まえつつ、新たな観点から再構成しています。

 本書の主な分析対象は、1891年から1920年のあいだに書かれたウェッブ夫妻のテクストです。この時代のイギリスは、労働組合運動や消費者組合運動の興隆、帝国主義戦争、救貧法の再考と福祉改革、第一次大戦の勃発、戦後の産業動乱と労働党政権の誕生など、まさに「激動の三十年」と言ってよい時代でした。このためウェッブ夫妻の研究テーマも、消費者組合論、労働組合論、地方自治体論、救貧法改革論、産業経営論、国家機構改革論など、非常に多岐に渡っています。本書は、そこに「効率」(産業進歩)と「制御」(民主主義)の実現というウェッブ夫妻の一貫した問題関心を読み取っており、このことでテクストどうしの相互関連性がよく分かるように議論が展開されています。

 著者の「効率」と「制御」への着目は、従来のウェッブ解釈への批判にも繋がっています。前者に関しては、これまで産業公有化や不労所得の再分配など反資本主義政策を唱えた社会主義思想家としてのみ見られがちであったウェッブ夫妻でしたが、本書では、競争的市場や経営者の利潤=レントを「産業進歩」の重要な源泉と捉え肯定していた点が示され、A.マーシャルやF.A. ウォーカーといった当時の主流派経済学者からの思想的影響が強調されています。その上で、夫妻の唱えた「ナショナル・ミニマム」も、平等化政策・労働者保護政策というよりもむしろ、「産業進歩」のための「効率」を生み出す有効な制度的装置として位置づけ直されています(第1−3章)。その延長で、彼らの自由貿易論、救貧法改革論もまた、「ナショナル・ミニマム=産業の効率化」の実践的分野として理解されています(第4−6章)。

 次に後者の「制御」についてですが、この概念は、しばしばウェッブに対して投げかけられてきた「官僚主義的、非民主主義的」との批判に対抗する目的で提起されています。著者は、一方では彼らが「専門家」を「ナショナル・ミニマム」の実践を担う主体と位置づけたことに関して、「テクノクラート的要素が極めて強い」(206)と認めています。しかし他方で、一般大衆による「専門家」の「監視」の重要性もまた彼らが強調していたことを指摘し、これをウェッブ夫妻の「ガバナンス論」的側面として、高く評価します。中央政府地方自治体、消費者組合等、「産業のコントロール」を担う諸組織は、常にその一般構成員による「投票」および「監視」を通じた「代議制民主主義」に基づかなければならないとウェッブ夫妻が考えていたこと、この意味で「実は彼らに官僚機構への強烈な批判的視座があったこと」(194)、これらが説得的に示されています。(第7−9章)

 この「効率」と「制御」の分析枠組みに基づき、本書では、他にもベヴァリッジピグー、アシュリーといった同時代の経済学者との比較や、「社会帝国主義」との関係、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス創設の動機など、興味深い議論が展開されています。ウェッブ夫妻のアカデミックなテクストの読解・解釈が中心ですが、当時のイギリスの経済史的背景についての解説や、今日の経済・政治理論との類似性の指摘なども随所でなされており、テクストの理解を助けています。

 このように、本書はウェッブ夫妻の経済思想を体系的に理解するための非常に良い一冊であると言えます。ただし、二点ほど不満な点もありました。第一に、「効率」概念の定義が曖昧である点です。著者は、「[ウェッブの言う]「効率」とは、社会制度のスムーズな機能によって人間の「能力」(インプット)と「欲望」充足(アウトプット)との結合の最適経路が満たされた状態のことを意味した」(41)と説明していますが、これだけではいまひとつ判然としません。「能力」も「欲望」も、当時の功利主義や理想主義の倫理学における重要な概念でしたが、その哲学的考察は本書では残念ながら行われていません(ウェッブ自身がそもそも行わなかったのかもしれませんが)。このため、後のページでは、この語は結局資源配分に関する「経済的効率」としての意味合いで使用され、当初の定義が持っていた倫理学的含意は抜け落ちてしまっているように見えます。

 第二に、「効率」に対する「制御」すなわち民主主義(=大衆の意思決定過程への参加)の関係が、今ひとつよく分かりませんでした。ウェッブ夫妻は、「制御」をそれ自体で価値を持つものと考えていたのでしょうか。それともそれは、「効率」のためのいわば「必要条件」に過ぎなかったのでしょうか。もしも後者である場合には、大衆の政治参加には「効率」実現のための手段的・二次的な意義が与えられるに過ぎず、ウェッブ夫妻官僚主義・非民主主義との批判者の声に、有効に反論できる議論とはなりにくいように思います。著者の意図はおそらく前者であり、民主主義の内在的・独立的価値をウェッブは強調していたのだと思いますが、その点をもう少し突っ込んで論じてほしかった、という感想を持ちました。
 このようにやや不満な点もありましたが、研究方法も含め大変勉強になった一冊でした。参考文献表を見ると、著者が長年ウェッブ夫妻を研究されてきたことが分かります。本書はその成果が存分に発揮された、高い水準のウェッブ経済思想研究であると言えるでしょう。価格設定がやや高めなところは残念ですが、文献表と索引も充実していますので、当時のイギリス経済思想史または福祉国家の思想史に興味のある方は、読んで得るところが多いかと思います。