音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

『イギリス哲学研究』第38号(2015)が届く

手元に今年の『イギリス哲学研究』(日本イギリス哲学会の年報)が届いたのでざっと読む。特に自分の研究に大きく関わる以下の二篇を面白く読んだ。

①論文:尾崎邦博「D.G.リッチーとJ.A.ホブスン――財産権についての比較考察――」

ともにニューリベラリズムの思想家として共通項に注目が集まる傾向にあるリッチーとホブスンだが、財産権の概念をめぐっては鋭い差異が存在していた。そのことが明快にまとめられている。私なりに要点を整理すれば、リッチーが財産の源(source)を重視したのに対して、ホブスンは財産の機能(function)をより重視した。リッチーの名前が論文のタイトルに入るのは、日本の学会誌ではこれが初めてではないだろうか。その意味でも意義ある一篇。リッチーにやや批判的な結論部分(「彼のように伝統的な財産権の虚構性を暴露するだけでは、社会改革のための経済的正義の原理は生まれてこない。」(p.24))の妥当性については、彼の国家論や進化思想を交えて考察する必要があると思われ、ひとまず保留。さらなるリッチー研究の深化が望まれる。


②書評:小田川大典『イギリス理想主義の展開と河合栄治郎―日本イギリス理想主義学会設立10周年記念論集』(行安茂編、世界思想社、2014年)

 内容の紹介にとどまらず、本書成立の「知識社会学的」背景や、British idealismの訳語問題にまで踏み込んだ、きわめて興味深い書評だった。評者の小田川氏自身は、D・バウチャーとA・ヴィンセントのBritish idealism(2012)の記述(「日常語において、この語〔=idealism〕は、非現実主義や過剰なユートピア主義という侮蔑的なレッテルをはられている。しかし哲学的なアイデアリズムは、こうした日常語でいうアイデアリズムとは無関係である。」)を引きつつ、British idealismを「イギリス観念論」と訳すことを提唱している。
 大筋では同意するが、やっかいなのは、British idealismが、リアリティの認識のあり方を問題とする「(認識論)哲学」にとどまらず、倫理思想、政治哲学、社会政策論と、非常に広がりをもつ思想だった点だ。そして倫理や政治の次元における彼らの思想には、良し悪しは別として、「ユートピアを希求する」要素が多分に見受けられるように思う(グリーンやボザンケの「共通善」概念など)。
 結局、訳語は研究者がidealismのどの次元を重視するかに多分に左右されるのだろうし(たとえば上述のバウチャーとヴィンセントの二人のidealism研究にも、前者が認識論を、後者が倫理思想や政治哲学を重視するという違いが見受けられる)、であるならば、無理に統一される必要もないのかもしれないとも思う。いっそ「ブリティッシュ・アイデアリズム」とカタカナ表記するか。でもちょっと長すぎるなあ・・・


British Idealism: A Guide for the Perplexed (Guides for the Perplexed)

British Idealism: A Guide for the Perplexed (Guides for the Perplexed)