音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

イギリス観念論における形而上学と倫理学の関係

某所でイギリス観念論(イギリス理想主義)について解説文を書くことになったので、改めてお勉強中。難解で、それだけに誤解を受けやすい論点の一つに、イギリス観念論における形而上学倫理学の関係がある。観念論者たちが議論のなかで誰を仮想敵にしていたかを意識すると理解しやすいかもしれない。以下は簡単なメモ。

カントの形式主義に対して:
1.道徳は理性の哲学的営みのみによって見出される抽象的な法則ではなく、生活や芸術等、日常の経験にすでに反映されている、個別具体的なもの。See T.H. Green, Prolegomena, Book 4, Ch. 2.

道徳的相対主義だとの批判に対して:
2.イギリス観念論はカント的な定言命法もあわせもち、道徳的相対主義を回避。グリーンやボザンケ、リッチーにおけるそれは共通善=調和的な自己実現。具体的な内容や手段は、経験から見出されるべき(→1へ)。See T.H. Green, Prolegomena, Book 3, Ch. 3.

功利主義自然主義)に対して:
3.イギリス観念論は、道徳の基礎を功利主義者のように自然的な欲望には置かず、カントと同様に、理性によって主体的に見出された諸々の目的に置く。理性を用いるほど、目的=善は共通善へ接近する。

自分でもまだよくわかっていないのが1と2の関係で、このあたりはグリーンたちの歴史論をたどる必要があるだろう。リッチーの場合は社会進化論か。