近況です
またまた更新が途絶えてしまいました。9月にカーディフ大学に移ってきて、移籍のどたばたやフランスへの小旅行を終えたあとは、今日までずっと平穏というか、変化のない日々が続いています。図書館で資料を集めて、スーパーで買い物をして、部屋で論文を進める。この繰り返しです。あとは、たまに指導教官に原稿を見てもらっています。先生は、いま私が書いている章にはまだまだ満足が行かない様子です。私も学会報告を予定している12月の中旬までには初稿を満足のいく形で仕上げたいと考えているので、少し焦りつつあります。
もともとこの章では、ホブハウスとウェッブ夫妻の社会改革論の比較を行う予定で10月半ば頃まで取り組んできたのですが、ホブハウスの思想の特徴を掴むためには、ウェッブ夫妻のみならず、やはり同時代の他のニューリベラルの思想家との比較も必要であろうという考えに至りました。このため、ホブソンやハーバート・サミュエル、R.B.ホールデン、ロイド・ジョージ、チャーチルなどのテクストにも当たりつつ、同時並行で論文を進めているという、やや自転車操業の状態です。結局、この章はニューリベラリズム(NL)の社会改革論という、NL研究では王道をいくテーマに落ち着きつつありますが、それがゆえにいかに先行研究と異なる視角を提示できるかが問われます。
1914年頃までのニューリベラルの議論を俯瞰的に見て浮かんでくるのは、彼らが、一方では労働者階級の福祉向上を直接の目的とする社会改革論を唱えたのに対し、他方ではそれが労働者階級の党派的な利益追求へと繋がらないようにも腐心した、という点です。ニューリベラルの議論からは、大陸社会主義的な「階級政治」に対する強い警戒心を見て取ることができます。ここから彼らの「福祉国家」的な政策提言が導き出されるわけですが、マイケル・フリーデンが指摘するように、そうした議論の底には、階級調和的な「共同体(community)」への憧憬を見て取ることができます。研究のポイントは、このやや漠然とした概念によって個々のNLの思想家がいかなる社会的実在を思い描いていたのか、また、この「共同体」が実現するまでのプロセスにおいて、国家、市場、市民社会がいかなる役割を持つと想定されていたのか、といった点であろうと考えています。そしてこの二点においてホブハウスの思想のどこに独自性があったと言えるのか、一定の回答を示せればと思っています。
まだまだ道は険しいですが、留学もそろそろ残り時間が見えてきましたので、あまり脇道にそれることなく、読めるところまで読み、書けるところまで書いておきたいと思います。
The New Liberalism: An Ideology of Social Reform
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P.S 今日は2011年11月11日なんですね!イギリスだとよく11/11/11と書かれます。同じ数字が6つ並ぶ、100年に一度の記念すべき日ですね!・・・って周りでは特に話題にも何にもなってませんが・笑。