音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

ジョゼ・ハリス論文二本メモ

またもや更新を怠ってしまい、申し訳ないです。留学の記録として日記を一日の終わりにつけるようにしているのですが、そうするとブログを書く気力の方が無くなりがちで…。ともあれ、変わらず元気にやっています!留学も残り二年足らず、今年は色々と踏ん張りどころの年になりそうです。

昨日は初期イギリス福祉国家を専門とする歴史家ジョゼ・ハリス氏の論文を二本読みました。この方、政策史と思想史を両方こなせて、かつ事例の羅列に終始せず骨太なストーリーを組み立てることのできる、稀有な歴史家だと思います。重要な記述をいくつか以下にメモします:

Jose Harris ‘Political Thought and the State’ in The Boundaries of the State in Modern Britain, S.J.D. Green and R.C.Whiting (ed.), CUP, 1996, pp.15-28.

1940年代前半から70年代にかけて、イギリスのアカデミズムや政治の現場における政治思想の影響力がきわめて弱くなる。「(政治思想の)奇妙な死」。(17)/逆にヴィクトリア朝期終盤から1930年代では、有機体的な社会観や理想主義哲学の影響が極めて強かった。1900年から1920年にかけてイギリスの大学に設立された社会科学・社会政策系の学科の多くで理想主義哲学者は重要な地位を占めていた(Edward Urwick, Henry Jones, J.H. Muirhead, James Sethなど)(18-9)。/社会諸科学のうち当時は経済学だけが個人主義的・実証主義的伝統を堅持していた(ただしピグーやホブソンは、個人の選択と有機的全体の福祉の調和を模索していた)。(19)/理想主義は貧困をめぐる論争で特に大きな影響を持っていた。社会改革者の多くは、貧困を物質的必要の欠如のみならず「自己実現」や道徳的シティズンシップにとっての障害ともみなしていた。(19-20)/1930年代の経済危機、マルクス主義の興隆、大陸でのファシズムの勃興は、理想主義思想の影響力を急速に弱めた。プラトンはもはや社会改革と民主的シティズンシップの先行者ではなく、ファシズム、人種差別主義、エリート主義の標榜者として非難されるに至った。(21)/経済社会における国家活動は1940年代以降急増したにも関わらず、国家の本質や役割に関する政治哲学は急速に衰退したという逆説。(22)/大戦後の社会政策をめぐる言説は一定の政治哲学に基づくことはなく、中立的技術的内容に終始することとなる。(24-5)/ケインズ経済学の思想史的な副作用も、政治の課題を市民参加の問題から経済の技術的マネジメントに移行させたことにあったと言える。(27)


Jose Harris ‘Victorian Values and the Founders of the Welfare State’ in Proceedings of the British Academy, Vol. 78 (1990), pp.165-182.


1880年代から1940年代にかけて社会改革・社会政策に従事していたミドルクラスの思想家・運動家の多くは、後期ヴィクトリア朝期の組織労働者階級が培っていた文化や制度に深い尊敬の念を抱き、これを社会全体に広めることを目標としていた。(168)/ウェッブ夫妻の「ナショナルミニマム」構想も、新旧の労働組合運動の観察から得られたものであった。ウェッブは新組合運動が要求していたように、立法を通じた健康・安全・所得の最低基準の保障を目標としていたが、それは熟練労働組合がすでに福祉の自発的組織化を通じて獲得していたものであった。(168)/ウェッブに「個人主義」と批判された慈善組織協会のヘレン・ボザンケも、自身の立場を「社会的集産主義」と位置づけていた。協同組合や労働組合、友愛組合など、国家ではなく社会における集産主義的運動を社会進歩の要とする見方を、ボザンケとウェッブは共有していたのである。(170)/ロイド・ジョージのアドバイザーで1911年国民保険法成立の鍵人物であったW.ブレイスウェイトの関心も、国家援助と労働者の自律のバランスの保持にあった。(171)/ベヴァリッジもまた熟練労働者階級の自助自律の精神を理想としており、失業対策として労働組合で実践されていた保険制度を大いに参考にした。(172)/当時の労働組合や友愛組合の共通点として、それが賃金や労働時間、労働条件のみを問題とする道具的・功利主義的組織ではなかったという点が挙げられる。各組合は優れて共和主義的な性格を持っており、そこでは組織の民主化と、自律した成員の積極的・良心的参加が尊ばれていた。(174-5)/それはまた厳格な生活態度・労働倫理を成員に強いてもいた(病気の原因が飲酒、暴力、性的放縦による場合は病気手当は支払われない、受給者も定期的に医師の診察を受けなければならず、また午後18時以降は外出してはならない、など。また失業の原因が本人の労働態度に起因する解雇や「ささいな不平不満」による退職である場合、失業手当は支払われない、失業手当の受給者も、恒常的に求職活動に励まなければならない、標準的な職の機会は必ず引き受けなければならない、など)。(175)/このように、後の歴史家がミドルクラス的、官僚主義的と考えがちな福祉国家制度の多くは、第一次大戦前の熟練組織労働者階級の文化に起因するものであった。(177)/だが、そこに含まれていた干渉主義的・排外主義的・共同体主義的側面は、社会全体のリベラルな風潮や国家規模の福祉行政とは論理的に齟齬をきたすという側面もあった。(179-80)/初期福祉国家労働組合・友愛組合から受け継いだ相互扶助・相互規律というヴィクトリア朝的側面は、もともとケインズ主義的消費主義とは相反していたが、1980年代以降の市場原理の強化によってさらにとどめの一撃を刺された。(182)


コメント:
二つの論文では、理想主義哲学と熟練労働組合の自助・共助倫理がいずれも初期イギリス福祉国家の制度設計の過程における重要なエートスとなっていたこと、またそれらが戦後ケインズ主義的福祉国家から市場主義の興隆する80年代にかけて弱体化していった過程が述べられています。ヴィクトリア朝的価値観(Victorian Values)と福祉国家の継続性や、サッチャーベヴァリッジの言説の共通性など、ハリス氏の論文ではイギリス福祉国家をめぐる教科書的通説を覆す興味深い議論が数多く示されています。ただ一点気になったのは、シティズンシップの権利的側面を強調し社会統合を強く志向した理想主義哲学と、自助を重んじつつ一定のカテゴリーの人々をメンバーシップから排除する個人主義・選別主義的側面を備えた熟練労働者階級の倫理が、多くの点で齟齬をきたすようにも見える点です。ハリス氏は初期福祉国家で共有された思想的特質を強調する傾向にあるようですが、市民として承認されるべき権利(「理想主義的」)と、承認されるための条件として課される様々な義務(「熟練労働者階級的」)のどちらをいかに強調すべきかという問題をめぐって、当時の思想家は異なる立場を提示していたように思えます。そうした思想の多様性を、共通性を踏まえつつ見ていくことも重要であろうと思いました。