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某大学教員の日記

論文:M・フリーデン「市民社会と善き市民――20世紀イギリスにおけるシティズンシップ概念をめぐる諸見解」

Freeden, Michael. 2003. Civil Society and the Good Citizen: Competing Conceptions of Citizenship in Twentieth-century Britain, in Civil Society in British History: Ideas, Identities, Institutions. Jose Harris (eds.). Oxford. 275-91.


20世紀前半のイギリス政治思想における「シティズンシップ」概念の変遷を追った論文です。個々の解釈には同意しかねる点もありましたが、思想の大きな図式提示と細かい多様性への配慮のバランスが、とても優れた論文だと思いました。私は最近、時代ごとの思想の共通基盤をざっくりと捉える方向にのみ議論を持っていきがちなので、その点で反省させられました。内容面では、特に最後のティトマスの部分が興味深かったです。世紀転換期の社会改革思想と、第二次大戦後の福祉国家思想のあいだの思想的連関性は、今後もっと研究される必要があると改めて思いました。

以下は内容のノートです。


イギリス理想主義哲学におけるシティズンシップ概念は、もっぱら「国家」概念と関連する。国家と個人の関係性。市民社会での個人間の対立を止揚する国家というヘーゲル的理解と、善き国家を志向する諸個人の市民的徳の価値を説くアリストテレス倫理学の融合。(275)

これに対して英国リベラリズムにおけるシティズンシップは、「市民社会」と強い結びつきを持つ。市民社会での個人の善き生き方について。その筆頭であるJ.S.ミルは、市民社会内の自発的社会関係と個性に基づく多様な能力間の調和を、「市民であること」の核に据えた。(275)


理想主義シティズンシップ論者の筆頭、ヘンリー・ジョーンズによれば、シティズンシップとは何より個人の道徳性の気高さにかかわる。その上で、国家がいかにそうした道徳性を涵養しうるか(国家の機能)、またそれを通じていかなる「善き国家」を志向するか(国家の本質)、という問題が導出される。(他方でドイツの産業主義、軍国主義には批判的だった。)(276)

他の理想主義者W.H.ハドウ(シェフィールド大学学長)やジョン・マカン(リヴァプール大学哲学教授)のシティズンシップ論は、教育制度を通じた政治的知識の付与による、国家への愛や忠誠心、義務感の涵養の重要性を説くものだった。(276)


諸個人の内面的な魂の状態に焦点を置いたイギリス理想主義に対して、物質的福祉の状態により注目した「功利主義的」シティズンシップ論も存在していた。ただし、「国家」と「個人」のどちらに焦点を当てるかで二つに分岐していた。前者は「国民的効率」を唱えたフェビアン社会主義者に顕著。ミニマムへの権利の保障に当たっては、個人を国家に貢献できる市民=国民にさせることが目的とされた。対して後者は、政府を市民の福祉向上のための奉仕者と捉え、個人の多様な生き方や一国家内の民族的多様性を重視した、ホブハウスのニューリベラリズムに顕著に見られた。(277-8)


ホブハウスやホブソンのニューリベラルなシティズンシップ論の核にあったのが、社会進化思想であった。彼らはシティズンシップの発展過程を、1.リベラリズムの政治的目的の達成、2.国家・地域共同体・ボランタリーな集団・個人それぞれの潜在能力の解放、3、文明全体の発展、という三側面の過程と見た上で、これらの具体的様態を人類史の中に見出そうとした。焦点は国家ではなく市民社会における個人間の関係性に、具体的には、各人の道徳的権利に対する他者の道徳的義務の問題に置かれた。(279-80)


ニューリベラリズムとも共鳴しつつ、より分析的なシティズンシップ論を提示した著作に、「ポスト理想主義者」H.J.W.ヘザリントンとJ.H.ミュアヘッドによる『社会の目的』(1918)がある。彼らにとってのシティズンシップとは、国家と関連するのでも「いま、ここ」の市民社会と関連するのでもなく、第一義的には「人類社会(humanity)全体への献身」を指すものであった。より具体的には、国境を越えた社会集団や次世代への関心など。(281)


人間性の複雑さに対する認識の深まりもこの頃見られた。ミルやイギリス理想主義の「性格character」論に見られる「健康で活発で理性的な個人」という人間観に加えて(「代えて」ではない)、傷つきやすく、不安定で、感情的な人間性への関心の高まり。(282)


こうした観点をシティズンシップ論と結びつけた作品に、C. ドゥリール・バーンズ(Delisle Burns)の『民主主義 その欠点と利点』(1929)や『文明の次なる段階』(1938)がある。ホブソンからの影響を受けたバーンズは、法制度における市民の権利・義務関係という機構論的観点に代えて、科学的知識に基づき人間の潜在能力と協同精神の発展に焦点を当てる心理学的シティズンシップ論を展開した。(283-4)

同時期のハロルド・ラスキの思想には、市民のための機会創出の責任を政府が負うという「功利主義」的側面に加えて、政府によって提供される公共財の良し悪しを市民が評価すべきとする「消費者主義」の側面も見られる。後者は20世紀後半のシティズンシップ論に顕著であり、ラスキはそれを先取りしていた。(284)


T.H.マーシャルの『シティズンシップと社会的階級』は、20世紀イギリスのシティズンシップ論上、最も有名な作品。その性格は以下の諸点にまとめられる。1.理想主義に見られた権利と義務の一体性の放棄。平等と権利への視点がより強まっている。2.国家のみならず、市民社会内のシティズンシップ獲得過程にも注目した(例としての労働組合による「産業的シティズンシップ」)。3.マーシャル以前のシティズンシップ論で常に強調された「自己を高める義務」への関心もまた、一定程度保持されている。4.最低限の平等(機会の平等)よりも上の部分に存在する差異や不平等を容認。

ところで、メーンの歴史理解「身分から契約へ」を逆転させた、マーシャルの「契約(経済的自由)から身分(シティズンシップ)へ」という図式は、ミスリーディングである。「身分」は静的な概念だが、シティズンシップは常に市民の活動的側面を含む概念であった。またベヴァリッジトニー・ブレアの市民概念を見ると、契約論的側面が未だ失われていないことが分かる。(285-6)


リチャード・ティトマスもまた、独自の市民観を持っていた。彼はシティズンシップを、必要に基づく普遍的権利の問題としてではなく、利他主義(altruism)と個人の選択の問題として認識した。「不安定な人間」イメージの継承:ティトマスにおいて、「計画的で合理的な社会と、自己責任が重視される強い個人」から、「不確定で様々なリスクのある社会と、その中に生きる不安定な個人」への、社会像・個人像の転換が見られる。市民は「消費者」ではなく、他者にコミットする利他的存在として位置づけられる。国家の法的統制は、市民社会を弱めるためではなく、むしろ私的関係における利他主義とケアの価値を高めるために行われるべきとされた。(286-8)

ティトマスのリバタリアン的側面:ウェッブ夫妻的な「健康になる義務」ではなく、「自己の必要のために、他者やサービスを利用することのできる(利用しなくともよい)社会的権利」の強調。反面、「他者に与える権利」の意義も強調。「利他的行為のなかで自己を高められるよう、社会が構成されるべき」。献血に見られる、市民的徳としての他者への愛情や共感。弱い存在としての人間の支え合い。人間の感情や生命力の有機的関係という視点から社会改革を唱えた、ニューリベラリズムとの共通性。シティズンシップ概念の脱市場化。(289-90)

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20-21世紀の新たな世紀転換期における、ニューレイバーのシティズンシップ論はどうか。かつてイギリス理想主義やニューリベラリズムは、ある人の権利とそれを尊重すべき他者の義務の相互性を唱えた。これに対して、A・エツィオーニのコミュニタリアニズムの影響を受けたブレアのニューレイバーは、同一の個人のなかでの権利と義務の相互関係を、すなわち善き行い(特に就労の価値が強調される)をする義務と引き換えに権利が「購入」されうるという、商業主義的な権利義務観を唱えている。また個人の権利への尊重は常にコミュニティの秩序維持との関わりで捉えられるため、価値の多様性への配慮を欠いた固定的な道徳的言説が目立っている。(290)

以上、20世紀イギリスにおけるシティズンシップ概念の変遷過程は、国家が市民の善き行いを規定するとする国家志向的なものと、公的な行いが国家および市民社会の二つにまたがると捉える(あるいは道具主義的国家観のもと市民社会の意義をより強調する)リベラルなものとの間の、ヴァリエーションとして描かれうるものであった。それは今もそうなのである。(290-1)


Civil Society in British History: Ideas, Identities, Institutions

Civil Society in British History: Ideas, Identities, Institutions


なお、日本語の関連研究として、現代イギリスにおける「アクティブ・シティズンシップ」理念の多様性を分析した以下の論文を挙げておきます。ここでも国家と市民社会の関係が一つの重要な論点となっています。
・平石耕「現代英国における「能動的シティズンシップ」の理念――D・G・グリーンとB・クリックを中心として」『政治思想研究』第9号、2009年、294-325頁。