音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

研究会で報告

ものすごく久しぶりの更新になってしまいました。昨日は都内の某研究会でニューリベラリズム福祉国家思想について報告してきました。昨年某学会誌に掲載した拙論が今回お声をかけていただいたきっかけになったようです。論文を書くという行為は、他の研究者の方との新しいネットワークを築くためにも重要なことだなあと、改めて思いました。当日は、普段なら学会でお見かけしても恐縮してしまいなかなか話しかけることのできないような、政治思想や社会思想の第一線の研究者の先生方が多く参加されており、そんな方々に私の研究に約3時間もお付き合いいただいたわけで、私にとって大変贅沢な時間となりました。数々の有益なコメントをいただきましたが、まずはラスキら20世紀前半の多元主義社会主義、また19世紀のスペンサーの自由主義社会学と、ニューリベラリズムの思想的関係が、後者の思想史上の位置把握のために最重要ポイントになることを痛感しました。これは言い換えれば、ニューリベラリズムが19世紀の自由主義から引き継ぎ、また20世紀の労働党社会主義へ残した思想的遺産をそれぞれどう評価すべきかという問題でしょう。特に前者について、スペンサーがきわめて論争的な存在であること(彼の道徳原理には自由主義的要素が色濃いが、優生思想や機械論的社会進化論はむしろ保守的)を、改めて確認できました。またある先生方からは、ケインズ自由党にとどまった背景にあった、彼の倫理・社会思想についての私の理解の浅さを指摘されました。これは功利主義とイギリス自由主義との関係にもかかわり、今後の重要な宿題となりそうです。
 そんなわけで昨日は非常に多くの知的刺激を受けた研究会となりました。実はこの夏は8月にも2回、ホブスンの経済思想とフリーデンのイデオロギー研究について、学会や研究会でそれぞれ報告する機会があって、けっこう研究面でも忙しくしていました。まだいずれも生煮え感がありますが、博論で行ったホブハウス研究とあわせて、そう遠くないうちに自分なりのニューリベラリズムの全体像の把握を行えればなあと願っています。

『イギリス哲学研究』第38号(2015)が届く

手元に今年の『イギリス哲学研究』(日本イギリス哲学会の年報)が届いたのでざっと読む。特に自分の研究に大きく関わる以下の二篇を面白く読んだ。

①論文:尾崎邦博「D.G.リッチーとJ.A.ホブスン――財産権についての比較考察――」

ともにニューリベラリズムの思想家として共通項に注目が集まる傾向にあるリッチーとホブスンだが、財産権の概念をめぐっては鋭い差異が存在していた。そのことが明快にまとめられている。私なりに要点を整理すれば、リッチーが財産の源(source)を重視したのに対して、ホブスンは財産の機能(function)をより重視した。リッチーの名前が論文のタイトルに入るのは、日本の学会誌ではこれが初めてではないだろうか。その意味でも意義ある一篇。リッチーにやや批判的な結論部分(「彼のように伝統的な財産権の虚構性を暴露するだけでは、社会改革のための経済的正義の原理は生まれてこない。」(p.24))の妥当性については、彼の国家論や進化思想を交えて考察する必要があると思われ、ひとまず保留。さらなるリッチー研究の深化が望まれる。


②書評:小田川大典『イギリス理想主義の展開と河合栄治郎―日本イギリス理想主義学会設立10周年記念論集』(行安茂編、世界思想社、2014年)

 内容の紹介にとどまらず、本書成立の「知識社会学的」背景や、British idealismの訳語問題にまで踏み込んだ、きわめて興味深い書評だった。評者の小田川氏自身は、D・バウチャーとA・ヴィンセントのBritish idealism(2012)の記述(「日常語において、この語〔=idealism〕は、非現実主義や過剰なユートピア主義という侮蔑的なレッテルをはられている。しかし哲学的なアイデアリズムは、こうした日常語でいうアイデアリズムとは無関係である。」)を引きつつ、British idealismを「イギリス観念論」と訳すことを提唱している。
 大筋では同意するが、やっかいなのは、British idealismが、リアリティの認識のあり方を問題とする「(認識論)哲学」にとどまらず、倫理思想、政治哲学、社会政策論と、非常に広がりをもつ思想だった点だ。そして倫理や政治の次元における彼らの思想には、良し悪しは別として、「ユートピアを希求する」要素が多分に見受けられるように思う(グリーンやボザンケの「共通善」概念など)。
 結局、訳語は研究者がidealismのどの次元を重視するかに多分に左右されるのだろうし(たとえば上述のバウチャーとヴィンセントの二人のidealism研究にも、前者が認識論を、後者が倫理思想や政治哲学を重視するという違いが見受けられる)、であるならば、無理に統一される必要もないのかもしれないとも思う。いっそ「ブリティッシュ・アイデアリズム」とカタカナ表記するか。でもちょっと長すぎるなあ・・・


British Idealism: A Guide for the Perplexed (Guides for the Perplexed)

British Idealism: A Guide for the Perplexed (Guides for the Perplexed)

健康は大事・・・

3週間ほど前からしつこい咳が続いていたので内科で診てもらったところ、細菌性の気管支炎と診断されてしまいました。抗生物質を飲む3日間は安静にして、子どもに近づいてはダメとのお達しも。

その間の育児はすべて妻にやってもらうことになってしまい、申し訳ないな(でも休めてラッキー!)と思っていたら、昨日はもうすぐ2歳になる娘も激しく咳き込んでいるではありませんか。病院に連れていってもらったところ、何とこちらも気管支炎との診断。しかもけっこう症状が重かったようで、すぐ入院、と言われてしまいました。私と娘のどちらかが、相手にうつしてしまったようです。病院から帰ってきた妻によれば、娘は展開の速さについていけず、終始不安&不機嫌だったとのこと。当然ですね。私が感染源だったら、これまた申し訳ない・・・

思えばここ数か月は、どうも健康状態が不安定でした。年末に咳続く→抗生物質→正月にインフルエンザ→寝正月→1月後半も風邪気味→マスクして仕事→2月のイギリス研修(学生10数名を2週間ガイド)は気合いで乗り切る→しかし帰国後なかなか体力と時差ボケが回復せず→3月の入試期からまた咳続く→気管支炎と診断(←今ここ)。

(しかも昨夜はもらった抗生物質があわず、トイレで強い副作用に苦しむというおまけつきでした・・・)

こうした不安定な健康状態には、(1)4月からの新しい職場で疲れがたまっていた、(2)秋に下の子が生まれて育児の忙しさに拍車がかかった、(3)加齢による体力低下、(4)運動不足による体力低下、など複合的な要因がからんでいるように思います。あと意識の面でも、どこかで「1人で悠悠自適だった20代の留学時代の自分」のままでいたようです。加齢という現実をしっかり直視しつつ、また仕事も研究も子育ても長距離マラソンと心得て、健康管理にもう少し気をつけようと思いました。

一年を振り返って

なかなかブログを更新できないまま年の瀬になってしまいました。振り返れば、今年は個人的にかなりあわただしい年になりました。春には愛知から神奈川へ引っ越しがあり、妻は再び妊婦さん生活に突入しました。4月からは1歳になった娘のバージョンアップしたわんぱく度に手を焼きつつも、着任先の大学の仕事にもついていけるよう励む日々でした。秋からは授業コマ数と校務が増えるとともに、4年生の卒論指導も12月の提出期限に向けてどんどん密度を増し、忙しさが右肩上がりで高まりました。そんななか、先月末には無事に第二子の男の子が誕生。家の中が一気に保育園状態になるとともに、また睡眠不足の日々が始まりました(息子はなぜか昼によく寝て、夜によく泣きます)。年末になってようやく一息つけましたが、目の前には百数十枚のレポートと15部ほどの他ゼミの卒論が、山積みになって年明けまでの採点を待っている状態です・・・

そんなこんなで研究を進められたとはなかなか言いがたい一年でしたが、某所属学会から論文奨励賞をいただいたり、はじめて科研費を獲得できたりと、励みになることもありました。また授業準備や卒論指導を通じて、イギリスの歴史や文化に対する知見も深めることができました。次にイギリスを訪れる際には、留学していたころ以上に訪問地を楽しめそうな気がします。

今後の自分の研究の方向性としては、博論の延長であるニューリベラリズムの社会改革思想に見られる独自の社会観を明らかにすることと並んで、世紀転換期イギリスの優生学の興隆と退潮についても思想史的に少し詳しく追っていきたいと思っています。どちらも歴史研究でありつつ、最終的には今日的な問題のフレームワークと接合できればと願っています(でもそれがいつになるかはまったく不明)。今年に入って更新の度合いが著しく下がってしまったこのブログですが、来年も少しずつ書いていければと思っています。みなさんもどうかよいお年を。

R.H.トーニーらの社会主義思想について

この夏はイギリスの社会主義思想家R.H.トーニーについて、少し勉強を進めています。トーニーは、私がこれまで研究してきたL.T.ホブハウスやT.H.グリーンとも、かなり思想的な親和性が強いと言える人物です。三人ともJ.S.ミル以後の自由主義の系譜につらなりつつ、同時に倫理的な「共同体(community)」を重視する政治思想を展開しましたので、彼らの立場を「倫理的社会主義(ethical socialism)」と呼ぶ研究者もいます(Norman DennisやMatt Carterなど)。

私が近現代イギリス政治思想史のなかでもこうした左派の「モラリスト」(=社会や経済の構造よりも個人の道徳意識を最終的には重視する人々)に関心を寄せるのは、19-20世紀の世紀転換期という、彼らのモラリズムが大きな政治的影響力をもった特異な時代について理解したいという思いとともに、やはり私自身が彼らのモラリズムに惹かれているせいだと思います。思えば自分が学部生の折には、社会構造が個人の意識におよぼす「拘束性」や資本や国家の「論理」を考察の出発点にすることを指導教官から叩き込まれましたので、今の自分の問題関心は、そのころからはかなり隔たってしまっているのかもしれません。

ただ、上の三人(特にホブハウスとトーニー)の議論には、ある集団を他の集団よりも有利(不利)たらしめる、特定の権力関係(とそうした関係を成り立たせる社会構造)への考察も、かなりの程度見出すことができます。彼らの政治的イデオロギーの独自性がどこにあったかと言えば、それはそうした権力関係のメカニズムを認識し、その不公正に憤りを覚えつつ、なおエリート層から労働者階級へ至るすべての階級・階層の人々を対象に社会主義の必要性を訴えていた(少なくとも訴えかけうる「言説」を模索していた)点にあったのだと思います。それは労働者階級を対象としたマルクス主義とも、エリート層を対象としたフェビアン社会主義とも異なる、人間の道徳性とデモクラシーの能力への信頼に基礎をおく社会主義思想であり、この意味で20世紀のイギリス左派政治思想におけるユニークな一潮流であったように思います。

…そんなことを以下の本を読みながら漠然と考えたのでした。

What Tawney had in mind was not an ideology handed down by intellectuals, but a comprehensively radical way of thinking generated among the working people themselves. ...Perhaps Tawney among British socialists has come nearest to providing a truly hegemonic philosophy, transcending sectional claims, bidding to remake British sociaety by democratic means. (p. 176)


R. H. Tawney and His Times: Socialism as Fellowship

R. H. Tawney and His Times: Socialism as Fellowship

近況です(新しい職場・子ども・研究状況)

この4月から新しい職場での仕事が始まりました。予想以上ではないものの予想どおりの忙しい日々になり、ブログの更新も途絶えてしまいました。時間がかかっているのは主に週6コマの授業の準備で、校務はまだそれほど多くありません。いくつか学部や全学の中心的な委員会に配属されましたが、今のところは同僚の先生方の傍で、OJTで仕事を覚える日々という感じです。それでも後期からどんどん責任ある仕事が回ってきそうな予感はあります。後期は大学院も含めて授業が7コマにもなるので、果たして無事に乗り切れるか、今から少し不安ではあります。

娘は4月に1歳になりました。最近は伝い歩きとハイハイであちこち活発に動き回って、全然目が離せません。よく笑い、泣き、怒ります。怒るととても1歳児とは思えない迫力です(先日テレビでやっていた初代ゴジラに似ていると思いました)。娘にはこの夏に少し大きめの手術の予定が入っていて、今は妻ともども無事に終わることを祈るばかりです。担当してくださる先生は名医で信頼しています。この一年、娘の関係でさまざまな医者と接してきましが、本当に優秀な医者とは、自信に満ち溢れていながらも決して偉ぶらない人だという印象を受けました。どこの世界でも共通していることかもしれません。

妻は早くも(?)二人目の子どもを妊娠しました。今年の12月に出産予定です。最近ようやく安定期に入りましたが、大きくなってきたお腹に胃が圧迫されて身体がしんどそうです。妊婦さんは睡眠も浅く、もともとの低血圧もあって朝がかなり辛いようです。それもあって、妻は育児休業中なのですが、できる限り私も家事・育児をするようにしています。朝起きたら、まず娘のおむつを換えます。そして離乳食を作って食べさせ、そのあと夫婦の朝ごはんを作ります。自分の分を食べたら食器洗いして(このあたりで娘がうんちするので、おむつをもう一度換えます)、ゴミ出ししてから出勤しています。夜は帰宅したら娘に夕食を食べさせ(妻が用意してくれていることが多いです)、夕食後はみんなの食器を洗い、あと片づけしたら娘をお風呂に入れ、寝かしつけます。以上の家事・育児が私の平日の日課になっています。週末は妻を休ませるために、もうちょっとやっています。「働く日本の男性」としてはわりと家事・育児をやっている方かな〜と自負していますが、どうでしょうか(調子乗りすぎ?)。

毎日こんな感じなので、正直研究がほとんどできていません(この一年、こればかり書いている気がしますが…)。職場ではどうしても授業と授業準備と校務に追われてしまうので、自分のためのリーディングができるのは通勤中の車内だけという、かなりまずい状況になっています。今まで以上にタイムマネジメントを意識して、工夫して研究時間を捻出していくしかないのでしょう。「自分だけの時間」が無尽蔵にあった留学時代と博士論文の追い込み時代が、遠い昔のことのように思えます(まだ二年も経っていないのですが)。とりあえず、仕事と家のことを研究が進まないことの言い訳にしてはいけないと、自分に言い聞かせたいと思っています。

あとで読む

ブラックバイトから学生生活を守ろう│・・│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
しんぶん赤旗 2014年6月2日)


「平成 23 年版 働く女性の実情」(概要版)- 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/11gaiyou.pdf
(p.7、図8に「未婚男女の希望するライフコース」)


Hobhouse, L.T. (1921) Democracy and Civilization, Sociological Review 13:3, pp. 125-135.
http://www.readcube.com/articles/10.1111/j.1467-954X.1921.tb01421.x