音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

R.H.トーニーらの社会主義思想について

この夏はイギリスの社会主義思想家R.H.トーニーについて、少し勉強を進めています。トーニーは、私がこれまで研究してきたL.T.ホブハウスやT.H.グリーンとも、かなり思想的な親和性が強いと言える人物です。三人ともJ.S.ミル以後の自由主義の系譜につらなりつつ、同時に倫理的な「共同体(community)」を重視する政治思想を展開しましたので、彼らの立場を「倫理的社会主義(ethical socialism)」と呼ぶ研究者もいます(Norman DennisやMatt Carterなど)。

私が近現代イギリス政治思想史のなかでもこうした左派の「モラリスト」(=社会や経済の構造よりも個人の道徳意識を最終的には重視する人々)に関心を寄せるのは、19-20世紀の世紀転換期という、彼らのモラリズムが大きな政治的影響力をもった特異な時代について理解したいという思いとともに、やはり私自身が彼らのモラリズムに惹かれているせいだと思います。思えば自分が学部生の折には、社会構造が個人の意識におよぼす「拘束性」や資本や国家の「論理」を考察の出発点にすることを指導教官から叩き込まれましたので、今の自分の問題関心は、そのころからはかなり隔たってしまっているのかもしれません。

ただ、上の三人(特にホブハウスとトーニー)の議論には、ある集団を他の集団よりも有利(不利)たらしめる、特定の権力関係(とそうした関係を成り立たせる社会構造)への考察も、かなりの程度見出すことができます。彼らの政治的イデオロギーの独自性がどこにあったかと言えば、それはそうした権力関係のメカニズムを認識し、その不公正に憤りを覚えつつ、なおエリート層から労働者階級へ至るすべての階級・階層の人々を対象に社会主義の必要性を訴えていた(少なくとも訴えかけうる「言説」を模索していた)点にあったのだと思います。それは労働者階級を対象としたマルクス主義とも、エリート層を対象としたフェビアン社会主義とも異なる、人間の道徳性とデモクラシーの能力への信頼に基礎をおく社会主義思想であり、この意味で20世紀のイギリス左派政治思想におけるユニークな一潮流であったように思います。

…そんなことを以下の本を読みながら漠然と考えたのでした。

What Tawney had in mind was not an ideology handed down by intellectuals, but a comprehensively radical way of thinking generated among the working people themselves. ...Perhaps Tawney among British socialists has come nearest to providing a truly hegemonic philosophy, transcending sectional claims, bidding to remake British sociaety by democratic means. (p. 176)


R. H. Tawney and His Times: Socialism as Fellowship

R. H. Tawney and His Times: Socialism as Fellowship