「プロレタリア文学」か?でも良い小説です。
- 作者: 吉田修一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/03/15
- メディア: 文庫
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久しぶりに小説を読もうと思い、2002年に芥川賞を取ったという作家、吉田修一の、『日曜日たち』という本を買ってみた。実はこの本、先月に出た「すばる」7月号のなかの「プロレタリア文学の逆襲」(!)という特集内の鼎談で、社会学者の本田由紀氏が、「現代におけるプロレタリア文学」(p.161)として挙げていた作品だ。本田氏曰く、
この小説は十年という時間がひとつの軸になっています。二十歳前後で地方から東京に出てきた五人の若者たちが、最初は正社員であったり、学生であったりしたのが、やがて十年の間にフリーターになったり、失業したり、派遣社員になっていたりで、自分が最初にいた位置からどんどん転落していく。年齢とともに労働者としての、人間としての価値が、その十年の間に下落していく。値踏みされ、使い捨てにされ、十年の間にもちえたはずの働くことの誇り、生きる誇りというものをもつことができない。そこを的確に描いていることが、この小説のポイントになると思うんです。(「すばる」7月号、pp.161-162)
注目している社会学者がこういうことを書いているので、一体どれだけ過酷な現実を描いた作品なんだろうと、初めは構えてしまったのだが、読後は、読んでて辛くなるような、これぞ「プロレタリア」小説!といった印象は、それほど受けなかった。確かに、恋人との「育ち」の違いによる恋愛関係の行き詰まりとか、彼氏の暴力とか、非正規雇用の単純労働とかが、登場人物それぞれの日常に閉塞感をもたらしており、その意味では社会学的なテーマが、それぞれのストーリーの重要な通奏底音にはなっている。しかし、そういう登場人物を取り巻く、外的な状況は、この本のメインテーマでは無かったように思える。あくまで各ストーリーの主眼は、別れた恋人の思い出とか、学生時代の友人への思いとか、今までろくに会話したことのなかった父との交流とか、そういう個人的で、比較的閉じた関係性のなかでの、各人の微妙な感情の揺らぎを、丁寧に描写することだったのではないだろうか。なので上記の本田氏の紹介や、「プロレタリア文学」という言葉から、私が受け取った期待からはややずれていて、その点はちょっと残念だった(私はもっとアツくなれる小説だろうと勝手に予想していた・笑)。でも、これはこれでとても良かった。短いので気軽に読めるし、ラストはじーんときてしまい、カタルシス効果もあった。
ちなみに「プロレタリア文学の逆襲」が特集として入っているのはこちら↓。冒頭の鼎談と、最後の「名文・名ゼリフつきプロレタリア文学ガイド」が面白かった。
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/06/06
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