音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

生活保護とワーキング・プアとグローバル化についての書きなぐり

生活保護費、母子加算3年で廃止 厚労省方針

 厚生労働省は29日、国費ベースで約2兆円の生活保護費を、来年度予算で400億円削減する方針を固めた。一人親の家庭の給付に一律上乗せしている「母子加算」を3年で段階的に廃止する。・・・04年度から段階的に廃止された老齢加算に続き、母子加算も廃止されることで、「最後のセーフティーネット」のあり方が問われそうだ。

 ・・・

 母子加算は、15歳以下の子どもがいる一人親に支給している。子ども1人の場合は月額2万20〜2万3260円、居住地によって異なる。母子加算の対象になっている世帯の生活保護費は、一般母子世帯の最低レベルの所得層と比べて消費支出が月に5万円ほど高いと指摘し、「現行の母子加算は必ずしも妥当であるとは言えない」と判断。ただ、母子加算廃止で急な収入減になる影響を避けるために、3年かけて段階的に減らす方針だ。
 母子加算は現在、約9万1000世帯に支給されており、そのうち半数の親が働いている。親が働きに出ることで外食費や保育費などが別途かかるため、母子加算を廃止する代わりに、こうした費用を賄う支援制度を創設する。仕事に就いている親だけでなく、資格取得のために就学中の親にも支給することを検討しているが、支給額は現行の母子加算よりは低くする。

 ・・・

 このほか、生活保護を受けている障害者の医療費について、国庫負担の少ない障害者自立支援法による自立支援医療からの支給を優先させることで、国費を軽減することも検討。今年度中に全自治体が策定する自立支援プログラムで保護対象から外れる世帯が増え、削減効果が出ることも見込んでいる。
(2006年11月30日朝日新聞朝刊1面、またはhttp://www.asahi.com/life/update/1130/003.html


社会保障費を削減する方針は、既に小泉政権の時に決まっていたものだし、今さら驚くこともないのだが、やはり改めて紙面で確認すると憤りを覚える。今の日本の政治家や官僚や経済学者や、その他もろもろのエリートの人々は、どこまで経済的な弱者に犠牲を強いれば気がすむのだろうか。


生活保護費を削減しても良いと考える人々の言い草は、記事中にもあるように、いつも決まって「保護を受けていない「働く低所得の人々」よりも、保護を受けている人々の方が暮らし向きが良い。だから保護費は削減しても良い」というものだ。では今の生活保護費は、「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」という日本国憲法の理念に照らして、「多すぎる」のか?それともそんな理念は、初めから無かったことにしているのか?


そもそもなぜ今の日本社会では、「働く低所得の人々」の貧困が野放しにされているのだろうか。なぜ彼らの賃金を上げるなり、彼らに保護費を支給するなりしないのだろうか。ワーキング・プア(働く貧困層)の貧困状態が野放しにされているからこそ、保護費削減の口実が生まれ、貧困の下降スパイラル現象が起こっているように思えてならない。


これに対する政府側の回答もある程度決まっていて、それはいつも、「賃金を抑えて、企業の国際競争力をつけるため」とか、「税負担を抑えて、企業の国際競争力をつけるため」というようなものだ。つまり「経済グローバル化の時代には、弱い者が犠牲になるのはしょうがないこと」として、「世界の情勢」が、いつもいつも口実にされるのだ。


グローバル化」の名で語られるこの「世界の情勢」とやらは、果たして不可避のものなのだろうか、それとも、変えようと思えば変えられるのだけど、ただ私たちが変えようとしないだけなのだろうか。もしも不可避であるならば、確かに今の状況は、もうどうすることもできないのかもしれない。私たちは、世界経済という、人間がどうすることもできないシステムの奴隷として、生き続けるしかないのかもしれない。貧困にあえぐ人々にも、「この不公平な人生を受け入れて下さい」と言い続けるしかないのかもしれない。


もちろん、今のグローバル経済を、「不可避なんだけど素晴らしい世界」として積極的に肯定する人々も、少なからずいることだろう。それは所得階層で言えば、もっぱら上層に位置する人々であり、彼らにとってみれば、低所得の人々は同情の対象ではあるが、貧富の格差は基本的に「自己責任」の問題である。「ワーキング・プア」と言っても仕事はあるんだし、食べていけるだけの給料ももらっているんだからと、3000円のランチを食べながら、彼らは思うのかもしれない。


でも歴史を振り返れば、今の状況が決して「不可避のシステムによって自動的に生じたもの」ではなく、かなりの程度、先進諸国の各政府によって、人為的に準備されたものだということが分かる。そうすると、今の状況を後押しする政策を取る政府が、選挙で支持され続けていることが問題の焦点となる。問題は国民の多くが、「国際競争の激化は不可避」という説得を受け入れ、自民党を支持し続けているか、或いは政治に幻滅して、投票に行かないことなのだと思う。