音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

「ホームレス」インタビューと現実の複雑さについて

以前お話を伺った路上生活者のNさんに、最近、再びお話を聞く機会を得た。数週間ほど姿を見なかったので、大丈夫かなと思っていたのだが、「梅雨の間は、駅の反対側の屋根のあるところにいた」とのこと。以前の記事はこちら→「ホームレスの人々へのインタビュー」http://d.hatena.ne.jp/Sillitoe/20060606


「ちょうど良いところに来てくれましたね。」私が挨拶するなり、Nさんはそう切り出した。「実はこないだNPOのS(仮名)ってところの人が来て、寮を紹介してくれるって言ってきたんですよ。それで明日からそこに入って、仕事を探すことになりました。」


これまでも2〜3回、市の方から自立支援寮のオファーが来たが、「お酒飲んじゃだめっていうし、生活全体が縛られそう」と、Nさんは敬遠してきた。しかし今回はとうとう意を決しての入寮である。この経験が、4年半の路上生活の転機となることを願うばかりだ。またそのNPOが、たまに耳にする「ホームレス」と「生活保護制度」を利用した、悪質な団体でないことを祈りたい。


今回のインタビューでは、Nさんの人生で起こった出来事のプロセス、とりわけ路上生活へと至ったプロセスを、前回よりもかなり詳細に聞くことができた。しかしながら話が詳細になればなるほど、同時にそれぞれの出来事を一定の見解のもとにまとめ上げ、評価することがどれだけ難しいかを痛感した。「ホームレスになるなんて、自分が怠け者だからだ、自業自得だ」という見解や、反対に「ホームレスになる原因は、個々人を取り巻く社会だ」といった見解が、いかにそれぞれ紋切り型で単純なものかを思い知らされたのだ。


Nさんが路上生活へと至った要因のなかには、現代社会では「自業自得」のそしりを免れないと思われた出来事もあれば(ex.酔って電車の中で痴漢行為に及び、逮捕され失職した経験)、Nさんが直接属した社会からの「疎外」体験(ex.職場での嫌がらせや、過酷な勤務実態)、またはより大きな時代的影響(ex.不況、企業の吸収合併、雇用構造の変化)などがあった。1つ1つの出来事や要因が、それぞれどのような因果関係のもと関係しあっているのか、おそらくNさん自身にも分からないだろう。Nさんの生来の性格や、発達上の家庭環境などの影響も加えれば、心理学的な分析も必要になってくる。人ひとりの人生とは何と複雑なものか、またそれを分析するとなると、いかに多くの学問的視角が必要となるかを、改めて思い知らされた。


インタビューを終えて、私がもし今、「ホームレス」問題一般への見解を問われるとするならば、それは「路上生活へといたる要因は個人的なもの、社会的なものの双方がある。どちらか一方のみを強調することは間違っているが、後者の社会的要因の方が重要である。にも関わらず、現状は個人的要因を強調する言説が強い。」という、非常に月並みなものとなるだろう。それもたった数人の路上生活者の方との会話や、数冊の本によって得たものにすぎない。またその平凡さ、月並みさは、私自身の抱える、事実の複雑さに対するコンプレックスの表れに他ならない。


結局Nさんは、3時間半ものあいだ私の質問に答えてくれた。質問内容が前後したり、悲惨な場面ではこちらも感情的になってしまったりと、技術的にも相変わらず駄目駄目なインタビューだったが、最後に「明日からの寮生活を控えて、自分の人生を振り返ったことで、今日は何かいい区切りになりましたよ」と言ってくれ、笑顔で握手をしてくれたことがせめてもの救いであった。