音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

ホームレスの人々へのインタビュー

先週、2人のホームレスの人々に対して、それぞれ30〜40分程度のインタビューを行う機会を得た。路上生活に到るまでの経緯、今の生活状況、福祉の利用状況などを中心に話を聞いた。今回は2つのインタビューのうち、1つめのインタビューの様子を簡単にまとめたい。


前もって付言すれば、私は社会調査の技法に関しては全くの素人である。例えば今回、対象者を選ぶに当たっては、比較的話をしてくれそうな人に適当に目星をつけて選んだに過ぎない。厳密な「サンプリング」など行っていない。また、質問の内容をあらかじめ設定することなどもせず、いきなりインタビューに臨んだ。この「ぶっつけ本番」的な方法は、相手の返答に対して臨機応変に対応し、会話を柔軟に発展できるという長所を持っているだろう。しかし未熟な私にとって、この方法は裏目にでた。「あれを聞いておけばよかった!」とあとで後悔ばかりすることとなった。また会話の録音を行うこともできなかった。要するに、質的調査としての長所をほとんど生かすことのできなかったインタビューであった。それでも私にとって多くのことを学ぶことができたのは、彼らの口から語られる経験の深みゆえである。


なおこの文章は、生活保護行政について数日前に書いた文章、「生活保護制度と貧困問題」の続編である。合わせて参照されたい:http://d.hatena.ne.jp/Sillitoe/20060601#1149178834



ケース1: 私の住む街、A市(人口15万人ほどの中堅都市)の駅前で。 
      Nさん、男性、46歳、小柄で細身、ベンチに寝転がってスポーツ新聞を読んでいた。


Nさんは、とても人当たりの柔らかな方で、インタビューにも非常に協力的だった。初めてのインタビューで緊張していた私にとっては、最初の対象者がNさんだったことは、ある意味ラッキーであった。


「生まれも育ちもここ(A市)です。駅で路上生活を始めて3年になります。その前は、E市の工場で2年ほど働いていました。ゼロックスコピー機を、ラインで組み立てる仕事です。でも不景気でそこの仕事なくなっちゃってね、その後は仕事が見つからなくて、アパートの家賃が払えなくなって、ここに来ました。」


(いちばん長くなさったお仕事は何ですか:私) 


「その前に勤めていたスーパーですね。ほら、すぐそこにあったTスーパーですよ。大学を出てから15年ほどそこに勤めていました。でもそのうちにあそこはつぶれて、Dスーパーに変わったでしょう、その時に、人間関係でちょっと問題ができて、辞めてしまいました(具体的な経緯は不明)。その後は退職金と失業保険しばらく遊んでました。それで貯金もなくなってきて、ハローワークに行って、さっきの工場の仕事を見つけたわけです。」


(大学はどちらでしたか:私) 


「T大学です。高校はH高校を出ました。」


私が出た高校と同じであり、私、少し驚く。
(ああ、じゃあNさんは、高校の先輩に当たるんですね。)


「ああそうですか。すみません・・・こんな先輩で・・・」


(いえ、そんな・・・(私、フォローに困る。)ところで、今、お仕事を何かなさることはありますか)


「いやあ、ここに来て初めのうちは、駅前にあるハローワークにたまに行ってましたがね。やっぱり住所がないとね、仕事は見つかりませんよ。ここにいる(他のホームレスの)人の紹介で、日雇いで引っ越しの仕事もしたことありますが、僕、体細いでしょう。かえって周りの人に迷惑かけちゃって。それで何かそういうのも嫌になって…。あとね、2年くらい前、南口の公園で用を足してたら、誰かにカバン盗られちゃったんだよね。身分証なんかも全部そこに入ってたから。それからは(ハローワークへは)行ってません。だから、今はけっこうブラブラしてますよ。」


(ご結婚をなさったことは)


「ありません。ずっとアパートで、1人暮らしでした。」


(毎日の生活でいちばん困ることはなんでしょうか。)


「やっぱり食べものですね。ゴミ箱漁ったり、お店にもらったり、ホームレス仲間にもらったり、でも1週間に1回くらいは、何も食べられませんよ。そうすると、動く気力もなくなりますよね。」


(市役所の福祉の人は何かしてくれませんか。)


「半年に一回くらいだけど、福祉の人が来ますよ。市が用意(斡旋?)した宿泊所に2〜3ヶ月滞在しなさい、そこから仕事を探して、自立しなさい、と言われます。でもああいうところに入っていろいろ言われるのも何だか嫌で・・・」←市の自立支援事業に対する消極的な態度。「いろいろ」言われるその内容をもっと聞きたかったが、聞きそびれた。


生活保護の申請などは、考えてらっしゃいませんか)


「考えてません。聞くところによると、ああいうのって私みたいなのはまだ若いんだからだめ、とか言われるんでしょう。あとね・・・これは他の人の話だけどね、お兄さんが同じ市に住んでて、でも絶縁状態なのね。それである日、役所に生活保護の相談に言ったら、役所の人がそのお兄さんに連絡したんだって。絶縁状態なのにね。」


直後にこの話は、「他の人の話」などではなく、Nさん自身の話だと分かった。Nさん自身が、役所に生活保護の相談に行き、そこで福祉担当者が「生活保護の扶養義務」規定に沿って絶縁状態にある兄に連絡し、Nさんはみじめな思いをしたようである。


「ここ(路上)に来たときに、兄からは「兄弟の縁を切る」と言われたんでね、それっきりですよ。」


(これからの展望のようなものは、お持ちでしょうか)


「市役所の人にも、同じこと聞かれましたよ。「若いんだから、仕事見つけて自立しろ」って言われたんですけどね・・・(遠い目をして、それ以上語らず。)」


以上である。まず思ったことは、こちらがいちばん知りたいことは、回答者の内面に深く突っ込む事柄であるがゆえに、それこそ回答者が他人に最も話したくない事柄でもある、ということであった。インタビュー調査の難しさはこの点にあるように思われた。そのため信頼関係がまだ充分にない1回目のインタビューでは、Nさんの人生の表面的な経緯をなぞっただけの感がある。できればもう一度、継続調査を試みたいと思っている。


とりあえずの考察:
1、全体としてNさんの路上生活は、無気力に満たされているように思われる。仕事を見つけようとせず、自分でも「ブラブラしている」と言っていることにもそれは表れている。しかしこの無気力の源泉をより突っ込んで考えれば、例えそのような状況から抜け出そうとNさんが試みようとしても、その試みを阻害する外的要因が強固に存在し、その結果Nさんが再び「ブラブラ」せざるを得ない状況に陥る、という構造が存在しているように思われる。外的要因とはすなわち、肉体労働に向かない体型、身分証明書の紛失、食料確保の困難さ、めったに手を差し伸べてこない福祉行政、こちらから勇気を出して出向いても、絶縁関係にある親類に連絡されたりして嫌な思いをしてしまった体験、などである。


2、また高学歴であるNさんの経緯は、他の路上生活者の経緯に比べると典型的なものではないかもしれない。しかし、だからこそNさんの人生は、ホームレスが「私たち」と切り離された存在では決してない、ということを象徴している。Nさんを路上へ追いやったものは、職場の経営不振であり、日本経済の不況であり、その結果の失業である。仕事を変えれば変えるほど、Nさんの労働条件は悪くなっている様子が見てとれる(スーパー正社員→工場ライン労働者→日雇い労働者)。ただし、最初の仕事であるスーパーを辞めたあと、数年間の空白期間があることにも注目したい(上述)。この間Nさんは、失業保険と退職金で「遊んでいた」と言っていたが、具体的な経緯は話してくれなかった。この期間に安定した再就職先を見つけられなかったことが、Nさんの人生にとって大きな転機になったように思われる。もう一度インタビューを行う機会があれば、この期間について、より突っ込んで聞いていきたい。


3、私自身のNさんに対する印象の変化。
真っ黒に日焼けした顔と長髪、古びた服を着、そばに荷物一式を置いてスポーツ新聞を読んでいたNさんは、「典型的な」ホームレスのいでたちをしていた。そのため私が思い切って声をかけられるまでには、時間を要した。しかし話を聞き、彼の人生についてより詳しく知るにつれて、私のなかでNさんは「ホームレスの人」から、1人の人間としての「Nさん」へと変わっていった。周りの人と同じように学校へ行き、就職し、スーパーや工場で、一生懸命に働いたNさん。彼の人生が私の人生と質的に全く異なるものであるとは、私には到底思えない。上でも書いたが、Nさんの人生が、どれだけ他のホームレスの人々のそれとの間に共通点を持っているか、すなわちNさんの経験が「ホームレス」としてどれだけ典型的なものなのかは不明である。しかし少なくともNさんに関する限り、私は私自身とNさんとの間に、明確な境界線を引くことは、もはやできない。しかし話を聞くまでは、私はNさんとの間に、「私たち」と「ホームレス」の大きな隔たりを感じていたのであり、それは私の主観の成せるわざであったといえよう。それは彼らに対する無知や勝手な印象に根ざしたものであった。そして一般社会の「ホームレス」の人々に対する見方もまた、これとほぼ似たようなものなのではないだろうか。