音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

「日本の夜と霧」

大島渚監督が1960年に撮った「日本の夜と霧」を観た。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F6YUAA/qid=1150305316/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-1974334-9077043


大島作品にはあまり詳しくないのだが、若いころはこういう政治色の強い映画も撮っていたと知ってびっくり。
以下ネタばれあり。


舞台は60年安保闘争の最中に出会った新聞記者と学生運動家の結婚式。そこに新婦の運動仲間であった学生(津川雅彦)が現れ、「安保闘争の最中に行方不明になった我々の仲間、北見の失踪事件は未だ解決されていない。なのに君たちは仲間である彼のことをもはや考えず、結婚式などにうつつを抜かしている」と、新婦およびその学生友人たちを非難する。


この津川演じる太田の演説に触発されて、新郎側の出席者である「元学生運動家」たちもまた、1950年代の自分たちの運動のあり方を問い直し、欺瞞に満ちた運動の過去を清算しようと、延々と議論を始める。


これだけ聞くと退屈そうな映画だが、演出のうまさと議論の内容の濃さのおかげで、私にはとても面白かった。まず戦後史の勉強になる。1950年代から60年安保闘争に至るまで、インテリ学生を取り巻いていた当時の時代の雰囲気を知ることができた。良くも悪くも、政治的議論が今よりも身近であったことが分かる。


また運動が次第に論理を無くしていくことの愚かしさが、登場人物の議論を通じて批判されている点も興味深い。特に日本共産党の路線変更を無批判に「信仰」し続け、反省を欠如させてきた元運動指導者への批判が展開されるシーンは、組織というもの一般に関わる本質的な問題提起のシーンであり、緊張感に溢れた映画のクライマックスを構成していた。


映画全体を通して、50年代の学生運動への諦観やむなしさといった雰囲気が漂っている。弱体化した現代の左翼運動一般の現状を考えるに当たって、この映画を観る意義があるように思われる。