音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

朝日新聞記事「外されたダウン症児 入学写真撮影クラスの一員なのに」

http://www.asahi.com/articles/ASG4C5QJGG4CUTIL03G.html

「遠慮しているように見えた」提案の校長がコメント
2種類を撮影することが差別になるという意識はなく、(男児の)お母さんがショックを受けるとは考えていなかった。ご両親には切ない思いをさせてしまって申し訳ない。
 実は、他の保護者から男児が学校に入ることに不安を訴える声もあった。そのことでお母さんが集合写真を一緒に撮ることに不安があって遠慮しているように見えたので、2種類撮るという方法もありますよ、と言ったつもりだった。
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校長の意識の低さは論外であるとして、より深刻なのは、障害者を社会から排除する圧力として働く、「他の保護者」による「不安」という名の差別感情であろう。これが具体的にどのような「不安」で、なぜそういった感情をもってしまうのか。「差別する側」の心理にもっとメスを入れなければ、「誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会の実現」というインクルージョンの理念は、空疎なものであり続けてしまうだろう。