音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

指導教官の意外な提案

前回の続きです。今年度限りで早期退職して奥さんのいるカーディフに戻ることを決めた私の指導教官、ホールデン教授(仮名)。突然そのことを告げられ呆然とする私をよそに、彼はさらに「話の要点は、実はここからなんだ」と続けました・・・。

「退職を決めた時に、いま受け持っている博士課程の院生のことを考えたんだ。アンジーとカール、この二人に関しては、他のスタッフでも指導は務まるだろうと思った。だがSillitoe、君の研究に関しては、テーマの独自性を考えると少し心配になってね。」

はあ、その通りです先生。マイナーな研究テーマだということは自覚しています。だから退職なんてしないで下さい!・・・と言いたいのを我慢しつつ、彼の話を聞いていました。するとホールデンは、ここでまったく思いがけない提案をしてきたのです。

「そこでどうだろう、君よかったら、来年度カーディフ大学に移らないかい?」

えっ…えええ〜〜〜!!!

ホールデン先生の考えはこうでした。カーディフ大学は彼の古巣であり、彼は今ではそこの名誉教授でもある。また、彼の古くからの研究仲間であるヘンリー・ジョーンズ教授(仮名)が、現在「ヨーロッパ研究科」の研究科長の地位にある。そのジョーンズにSillitoeの指導教官になってもらえば、ホールデンもまたカーディフ大学のスタッフとして、Sillitoeの指導を続けることが出来るのではないか・・・

このように考え、私に早期退職を告げる前に、ホールデンカーディフ大学のジョーンズ教授に相談してみたらしいのです。「こういう日本人学生がいるのだが、ジョーンズ、君に第一指導教官を引き受けてもらうことは可能だろうか。その場合、名誉教授である私も、正規の第二指導教官となることはできるだろうか。もちろんこの学生の実質的な指導は、私が担うつもりだ」と。

カーディフのジョーンズ教授からは、「大学側にかけあってみなければ何とも言えないが、大学からOKが出れば、私がその学生の指導教官になることについては何の問題もないよ」という答えが返ってきたとのことです。

ホールデンは私に続けました。「ということで、制度上の細かい決まりはカーディフ大学側に聞かなければならないようだが、まあ研究科長の彼が受け入れると言っているし、おそらく大丈夫だろう。君も知っての通り、ジョーンズはイギリス理想主義哲学の卓越した研究者でもあるから、彼が君の指導教官になることは、君の研究にとっても得るところがあると思うよ。」

そして最後に、「もちろんいますぐに結論を出す必要はない。シェフィールドに残るという選択でも、まったく構わない。少し考えてみてほしい」と言われ、先生とのミーティングは終わりました。さんざん驚かされた私は、ふらふらと彼の研究室をあとにしました。

ここから数週間、私はシェフィールドに残るかカーディフに移るかで、大きく迷いました。パートナーに相談し、こちらの友人に相談し、日本の友人に相談し、またカーディフ大学で博士号を取得された、日本人研究者の方にも相談させて頂きました。

私はそれまで一年半を過ごしたシェフィールドの街と大学を、とても気に入っていました。24時間オープンの図書館や私専用の研究机など、快適な研究環境がシェフィールド大学には整っていました。良い友人もでき、フラットメイトにも恵まれ、お気に入りのパブや公園もできました。物価が安く治安も安全な点、また起伏の多いシェフィールド独特の風景も気に入っていました。

長丁場である博士課程での研究においては、心身の健康の維持が何よりも重要でしょう。シェフィールドはその点で、理想的な環境を与えてくれていたのです。これらをすべて断念し、カーディフという新しい土地で一から研究生活を切り開いていくことは、大きなリスクとコストを伴うものであるように思われました。

ただし、他方でホールデン先生の提案が魅力的であったことも確かでした。ジョーンズ教授のイギリス理想主義研究は、それまでもしばしば私の研究に有益な示唆を与え続けてくれていましたので、ホールデンと並びジョーンズの指導も受けられることは、私の研究にとって大きなメリットであるように思われました。

また、シェフィールド大学の政治学研究科にはとても優秀な人材が集まっていましたが、ホールデン教授を除けば、イギリス理想主義はおろか政治思想史一般にも関心を持ってくれる人はほとんどおらず、私はその点では物足りなさを感じていました。カーディフではジョーンズ教授のもとに理想主義を研究する博士課程の学生が集っているとのことでしたし、加えてジョーンズは学会や研究会の主催にも熱心であるなど、今後のアカデミックな交友関係を作っていく上で、カーディフ大学はより望ましい環境であるように思いました。

このように双方とも一長一短あり、友人たちのアドバイスも様々で非常に迷いましたが、結局決めなければならないのは自分自身だと、最後は腹をくくりました。2月の終わりに私は決心して、ホールデン教授にメールを送りました。

もう少しだけ続きます・・・)