音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

ただいま絶賛修羅場中+「書く」ことについて

大震災が起こったことで一時期は何も手がつかない状態でしたが、実は研究の面では2月後半からずっと修羅場が続いています。これまで学会活動などに消極的だった自分への反省の意も込めて、4月に2回、5月に1回、セミナーや学会での研究報告の機会を入れたところ、案の定その準備に追われる毎日となりました。加えて、2月頭には指導教官の先生から思いもよらぬ難問を持ちかけられ、そのことについても多くの時間を割かねばならず…これについてはまたおいおい書いていこうと思います。

まずは4月頭にある、政治学研究科「政治理論・イデオロギーグループ」のセミナー報告の準備を終わらせなければなりません。あと一週間で、議論の最後の部分と序・結論を書いて、2万語程度に膨れてしまった全体の分量を、読んでくださる皆さんの負担を減らすために半分以下に削らなければいけないと考えています。いやはや、どうして自分はこういつも時間ぎりぎりになるのでしょうか…。締切日の朝に序章を焦りながら書いていた、修士論文の頃と何も変わっていない気がします。

ただ、こちらにきて一つ成長したかな、と言えることがあります。それは「書く」という作業そのものが、以前よりも苦痛ではなくなってきたことです。いや、まあ相変わらず白紙の原稿に向かって何をどう書いていこうか頭を悩ませるのは、辛い作業であることに変わりはありません。ただ、以前ならば文献読解という比較的ラクな(そして楽しさも伴う)作業をだらだらと続けて、書くという能動的な作業を出来るだけ後回しにするという悪い癖があったのですが、最近は「書きながら考える」という新しいスタイルが少しずつ身についてきているように思います。

これは、3週間に1回ある指導教官との定期的なミーティングの効果によるところが大きいと思われます。僕の先生は、「次までに何を何語書いてきなさい」というような細かい指定はしない方ですが、少しでもミーティングを有効な時間にするために、各回最低3千語は論文草稿を書き事前に先生に送って読んでもらうよう、僕の方で今回の留学の最初に決めました。このことが、定期的にモノを書く習慣を身につけてくれているような気がします。

これが日本にいた頃のゼミでは、指導教官に研究報告をする機会は3カ月や4カ月に一度に限られてしまい、あとは毎週、他のゼミ生の報告を聞いて議論するという形式でしたので、怠け癖のある僕はどうしても自分の研究について書き進めていくことを後回しにしてしまいがちでした。もちろん母校のゼミも、院生間の互恵的なネットワークを形成しやすいという大きなメリットを持っていました。ただ、締切が設定されてようやく研究のエンジンがかかるという僕のようなタイプには、3週間毎に締切の来る今のスタイルの方が生産性が高いなあと実感する次第です。

晴れて将来研究者になれた暁には、忙しい教育や大学公務の合間を縫って、自分の意志で研究を進め論文を書いていくという、強い自主性が求められます。締切に追われることでかろうじて論文を書いている現在の自分は、まだまだそうした自主性とはほど遠い地点にいるのだと思いますが、少なくとも「書く」作業に慣れることは自立した研究者にとっての必須条件であるでしょうから、その意味でもここでの経験は良い訓練になっているように思います。