音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

「人種差別社会」と留学生の「盲目」

先週土曜日はウォーリック大学でのHuman Rightsの学会に行ってきてなかなか有意義だったのですが、そこでお知り合いになったインド系の研究者の方と印象深い会話を交わしました。ポストコロニアリズム文学の研究者であるその方は、カナダのトロント大学の学部を卒業した後、修士号、博士号をともにオックスフォード大学で取得し、いまはウォーリック大学のAssistant Professor(日本で言えば「助教」でしょうか)の地位に就いているという、とても優秀な若手研究者の方でした。そんな彼が、興味深い文学論を語ってくれた一方で、英国白人の人種差別意識の根深さを吐き捨てるように非難してもいたのです。

「結局Human Rightsを議論するときも、彼らはその哲学的基礎を非西洋の思想にまで視野を広げて探そうとは決してしない。カントとかスミスとか、どこまでも西洋的な枠組みのなかで「普遍性」を語ろうとするんだよ。ちゃんちゃらおかしいね。その裏にあるのは、非白人人種への差別意識さ。」

「君はまだ学生だから「お客さん」として接してもらえていると思うけど、いったん英国で働き始めれば、彼らの偏見の強さを否でも思い知らされるよ。彼らは常に、僕が白人同胞の仕事を奪ったという風に、僕のことを見ているんだよ。」

「何しろ彼らの奴隷制度と帝国主義の歴史は500年にも及ぶんだ。戦後60年程度では、この深く刻み込まれた差別的メンタリティは無くなりはしないよ。」

「僕はカナダやアメリカにも住んでいたことがあるけど、向こうは英国と比べて非白人への寛容の度合いが全然違うね。やっぱり歴史の違いのせいだと思う。機会があればカナダに帰りたいよ…」

僕はイギリスのトップ大学の研究者の地位に就き、イギリス社会では超エリートのはずの彼が、これほど激しくイギリス社会と白人をののしるのを聞いて、びっくりしてしまいました。

もしかすると、彼は他の点で完全な「勝ち組」であるからこそ、自分が唯一社会的マイノリティとなる人種というカテゴリーについて、必要以上に敏感になってしまい、多少の被害妄想を持ってしまっているのかもしれません。

でもそれ以上に、彼の話を聞いたときになぜ僕はあんなにびっくりしてしまったのかと、あとで自分自身の反応をも不思議に思いました。少し考えれば、イギリス白人の帝国主義的意識の根強さなど、大いにありそうな話ではないでしょうか?

結局、僕が彼の話を聞いてびっくりしてしまったのは、彼が話してくれた「人種差別社会」としてのイギリスの現実が、いま僕が日々目にしているシェフィールドの現実とは、まったく相容れないものであったからだと思います。

シェフィールドは、5年前に交換留学生として住んでいたバーミンガムよりも安全で、毎日を快適に過ごすことができています。買い物も含めて基本的に毎日をキャンパスの中で過ごしてますし、先生方も同級生もお店の人たちも、みな親切です。人種差別的な言動や態度に遭遇したこともなく、粗末な語学力を除けば、僕が社会的マイノリティ性を感じることは、正直ほとんどありません。むしろ博士課程の学生ということで、知的エリートとしての、ある種の優越感を感じている自分を発見する瞬間すらあります。

でも思い起こせば、バーミンガムにいた頃に僕が目にしていたイギリスは、そのウォーリック大学の方の話にも繋がる、もっとシビアなものでした。一番印象深かったのは、人種的マイノリティである黒人や中東系、南アジア系の人々が、シティセンターから外れた郊外で、それぞれのコミュニティを形成していたことですが、彼らの生活の様子は華やかなシティセンターとは全く異なって、明らかな貧困状態に置かれていました。「ここには市の清掃は他の地域ほど来てくれないんだ」とそこに住む人が話してくれた通り、通りはごみが散乱していて、生ごみや尿のにおいが漂っていました。あの光景は今も忘れることはできません。また、僕自身もバーミンガムでは何度か人種差別的な態度を街でとられたことがあり、否でも社会的格差・差別の問題について考えさせられました。

結局、いまの僕がシェフィールドで日々接しているイギリスとは、バーミンガムで僕が勉強そっちのけで自転車で駆け回って目にしていた現実とは全く異なる、アカデミズムのそれであって、それは階級的にもきわめて限られた象牙の塔に過ぎないのだということでしょう。このことを、ウォーリック大学の方とのお話を通して改めて認識させられました。そして実はアカデミズムの中にも彼が話してくれたような差別意識はあるのだけど、「留学生=お客さん」の僕はそうした面すら目にする必要のない、安住かつ盲目的な状態に置かれてしまっているのでしょう。

安定した研究環境を享受できているという点では今の留学の状況は文句のつけようがありませんが、社会科学の研究者としては、果たして以上のような「安住」と「盲目」の状態は望ましいことなのかどうか、答えはある意味では明らかに否であると思います。アカデミズム以外のイギリス社会の「現実」に少しでも接することのできる手段はないものか、打開策を考えていきたいと思っています。。。