音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

修士論文を提出しました


先日、無事に修士論文を提出することができました。相変わらずのLast-minute person(時間ぎりぎり人間)ぶりを発揮してしまい、製本当日の朝まで序章を書いていたというダメダメな仕上がりでしたが、最後の1か月の間に理解がきゅーっと進んだこともあって、何とか書き上げることができました。修士課程は2年間もあったのに、どうして最後は1時間を争うぎりぎりの執筆になってしまうのだろうと、不思議に思いながら書きました。でもまあこれは私が修論のテーマを定めたのが修士2年目の6月だったという遅さにも由来するもので、1年目から早々とテーマを決めていたゼミテンなどは、11月頃にはもう9割方仕上がっていた様子でした。修士課程では、2年目の春までにはテーマを決めて、夏休みには書き始める、というのが理想のようです。僕の場合、本格的に書き始めたのが11月に入ってからでしたので、最後に苦しむことは、その時すでに決まっていたことだったのかもしれません。


修士論文ではホブハウスの思想に特化し過ぎてしまったため、今後は、執筆のために狭まってしまった関心をまた広げて、修論で書いたことをより大きな文脈に置き直すことから始める必要がありそうです。具体的には、ホブハウスの新自由主義全体のなかでの位置づけを確定して、その上で新自由主義の全体像を明らかにする必要があると感じています。修士論文では、ホブハウスが新自由主義の立場から、権利に基づく福祉保障の必要性を唱えたという点を中心に論じたのですが、いかんせん彼の議論は「実行可能性は乏しくとも権利は権利だ!」とする原則論に留まってしまいかねないもので(それはそれで非常に重要なことで、この点を突き詰めたからこそ、ホブハウスは新自由主義の代表的理論家の1人とみなされたのですが)、稀少な資源をいかに分配すべきかという経済学的な考察に乏しいのが難点です。この点でまず何よりも、新自由主義の経済学的な代表者であるホブソンに注目していく必要があると考えています。ホブソンの「厚生経済学」を理解し、ホブハウスの倫理学的な福祉論と兼ね合わせることで、社会改革のイデオロギーとしての新自由主義の独自性が見えてくることを期待しています。さらにもう1つの課題としては、昨今イギリス政治思想史研究の一部で注目されているイギリス理想主義の政治思想と、その新自由主義への影響力を勉強していく必要があります。T.H.グリーンやB.ボザンケの理想主義は、ホブハウスやホブソンの新自由主義との間に、権利論や国家論をめぐってなかなか複雑な思想的関係を展開しており、両者の関係を整理していくことが、新自由主義の福祉思想上の独自性を確定する上でも必要な作業となります。また、そもそも修論でホブハウスの後期の重要な著作群をほとんど検討できなかったことが悔やまれます。これをきちんとサーベイして、修論で得たホブハウス思想の理解をさらに深めることも、これから当然行っていくべき課題となります。


このように、新自由主義の思想史上、および理論上の意義を見出すという目的を達成するだけでも課題は山積みですが、しかし修士課程の2年間の短さを思うと、博士課程に進んだとしても3年などあっという間に経ってしまうことでしょう。研究計画をしっかり立てて臨まないと、論文を書けずにいつまでもずるずると大学院に居残ってしまうことになりかねません。上記の3つの課題で、それぞれ1本ずつ論文が書けるように頑張りたいと思います。修士論文を提出できて、とりあえずようやく自分にとっての2008年が明けましたので、以上のことを新年の抱負にしたいと思います。ということで、今年もよろしくお願いします。