音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

ジェンダーの授業で言われたこと


今日大学で2人の先生からもらった言葉が、それぞれとても印象的だった。1つは、今学期に私が受講しているリレー講義「ジェンダー論」の、今日の担当の先生に言われたことだ。その先生は、ジェンダーの視点から労働の現場を実証的に研究している方なのだが、とても明快な語り口で、私は学部時代からけっこうファンである(実は大学院入試の面接でも、その先生が面接官の1人だった。この時ばかりは、先生のカミソリのような鋭い突っ込みにとても苦労した)。


授業で先生は、あるデパートの婦人服売場での調査から得た結論として、「女性店長」の存在がその企業で認められ、増加しつつあること、しかしその一方で、職場では常に「女らしさ/男らしさ」というジェンダー規範に結びつけられたコミュニケーションが、相変わらず強固に再生産されていることを指摘した。先生によれば、これは労働現場における「ジェンダー関係の変容と再生産のダイナミズム」を表しているとのことだった。


受講生が1人ずつコメントを求められたので、私は先生が述べた女性店長の増加について触れ、「このことは比較的高い社会階層に属する女性が、彼女たちの純粋な能力によって、つまりジェンダー規範よりも能力主義によって、より職場で評価されつつあるということを示しているのではないか。それは必然的に、能力主義ジェンダーの関係をどう捉えるか、という問題を提起するものだと思う。女性が能力主義イデオロギーに取り込まれることで、「男なみ」に働く機会を得られることが、フェミニズムにとって望ましいことなのかどうか、その点が問われるのではないか」というようなことを(かなりしどろもどろにだが)言った。


私の長いコメントをじっと聞いた後に先生は、「それは現実から乖離し過ぎた議論です」とズバリ指摘してくれた。「たった一企業での、それもほんの少しの女性店長の増加を取り上げて、いきなり能力主義の問題に、議論を飛躍させるべきではない。管理職における女性の割合が50%になるということは、まだまだ不可能であるという現実があり、そうした問題にまず目を向けるべき。女性の地位向上を妨げる「ガラスの天井」は、未だ強固に存在しているんだから。」と言われた。


私は先生の言葉を聞いて、現実がどうあれ能力主義ジェンダーの関係を考えることは、それでも重要だと一方では思ったのだが、その一方で、最近の自分の思考パターンがどんどん現実から乖離し、観念的になってしまっていることを先生から指摘された気がして、とても反省した。社会思想を勉強していくにしても、常に現実はどうなっているのかということ、そしてそうした現実の状況と、自分が対象とする思想はいったいどういう関係にあるのかということを、それぞれ意識していかないと何にもならないということを再認識した。