音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

韓国訪問

↑ソウル中心部にある李朝時代の王宮、「景福宮」の一角。景福宮は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻による焼失(16c末)→再建→閔妃暗殺(1895)の舞台となる→日本の植民地化で全面的に破壊・移築される→戦後再建、というプロセスをこれまで辿ってきた。日本の存在を除いては、その歴史を語ることはできない。(撮影:筆者)


5日間ほど韓国に行ってきた。中学や大学時代の韓国人の友人と再会して、毎晩飲んだ。しこたま飲んだ。最終日は徹夜で飲んで、そのまま飛行機に乗って日本へ帰ってきた。仕事があるのに朝方まで何度も付き合ってくれた、韓国の友人たちの体力の強靱さに脱帽した。おかげで観光はあまり出来なかったけど、とても楽しい旅だった。そんななか、観光で唯一とても印象に残ったのが、ソウルから電車とバスで2時間ほどの場所にある、「独立記念館」だった。



↑「独立記念館」入口の「民族の広場」の光景(撮影:筆者)


「独立記念館」は、歴史教科書問題をきっかけに設立された記念館とのことだった。主に日本の植民地侵略、そしてそれに抗する独立運動という2つのテーマが、7つの展示館で繰り広げられていた。「日帝侵略館」では、その展示のおどろおどろしさに、半泣きの幼子がいた。そこに展示されているものが何なのか、その子に優しく諭す母親の姿が印象的だった。


この施設は、明らかに韓国国民の民族意識を、さらにナショナリズムを、それぞれ昂揚させる機能を持っていた。その点では、靖国神社の「遊就館」に通じるものがあった(施設の規模自体は、靖国神社よりもはるかに巨大だった)。しかしそこで昂揚される「ナショナリズム」の持つ意味合いは、質的に日韓で全く異なるように思われた。一方で「遊就館」においては、ナショナリズム日本帝国主義の歴史の正当化のために昂揚されるのに対し、他方「独立記念館」においては、それは反帝国主義運動の歴史の正当化のために昂揚されていた。


しかしこのような質的な違いを踏まえた上で、なお私はこの「独立記念館」に対して、「遊就館」とも共通した薄ら寒さというか、違和感を感じずにはいられなかった。それはこの記念館で昂揚されている民族意識が、現実の、今日の、「朝鮮民族」の人々が持つ(社会的・政治的に)多様な利害を、全く無視していたからに他ならない(実際私の見た限りでは、戦後史に関する展示はここには一切無かった)。独立後、今日に至る朝鮮半島の人々(そして「在日」の人々)の苦難の歴史に目を向けることなく、ただただ「民族の、国民の一体性」を称揚するこの記念館に対しては、私は靖国神社に対して抱いたのと同様の白々しさを抱かずにいられなかった。


まあ5日間ではここが唯一、堅いことを考えさせられた場所だった。後はデラックスなロッテ・デパートで服を買ったり、南大門市場ヨン様ソックスを買ったり、インサドン通りでしゃれた扇子を買ったりした。居酒屋では、キムチを初めとするおかわり自由の大量の「無料お通し」に感動した(強制的に支払わされる日本の居酒屋のお通しに比べて、何て太っ腹!)。出てくる料理はみんな美味しくて、健康的だった。でもマッコリ(韓国のどぶろく)の飲み過ぎで、頭痛の毎朝だった。モーテルでテレビを付けると英語のチャンネルがいくつかあって、日本よりも英語のヒアリング環境は恵まれてるなと思った。カラオケでは日本の歌がたくさんあってびっくりした。そして韓国バラードソングのメロディーの美しさに感動した。


ひとつ心残りなのは、ほとんど韓国語を覚えていかなかったことだった。「写真を撮ってください」と韓国語で言ったら喜んでくれた居酒屋のおばちゃんとかいたので、もっと話せたらもっと楽しかっただろうな、と思う。帰りの飛行機と電車の中では、友人の1人が手土産にくれた小説、金城一紀の「GO」を読んだ。村上春樹っぽい気取った恋愛の描き方には多少辟易したが、それでも「在日コリアン」の若者の現実がありのままに、疾走感溢れる文章で描かれていた。オススメの1冊です。

GO (講談社文庫)

GO (講談社文庫)