音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

生活保護制度と貧困問題

3万人といえば、日本にいるホームレスの人々の数も、概数で3万人に達しつつあるという話を聞く。私が住む町の駅前にも、4、5年ほど前から、ホームレスの人々を何人か見かけるようになった。彼らのことがずっと気になっていたのだが、きのう、幸運にもそのうちの1人から40分ほど話を聞くことができた。会話の詳しい内容についてはまた日を改めて書いてみたいと思うが、今日は私がホームレス問題に関心を持つきっかけともなった、日本の「生活保護制度」および貧困の問題点について少し書いてみたい。貧困は自殺と並んで、現代日本社会の抱える闇の一部分である。


生活保護制度についてまず理念的なことから書けば、戦後日本は、国民への福祉をそれまでの「恩恵」に基づく原理から、「権利」に基づく原理へと転換させ、憲法第25条−すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない−と共に、「福祉国家」への道を歩み始めた。そして生活保護制度こそは、こうした憲法25条の精神を体現する目的で作られた、生存権を守る「最後のセーフティネット」としての制度となるはずであった。


しかし現実には、主に国や自治体の財政難によって、困窮している人でもなかなか生活保護を受けることができず、福祉窓口に来ても門前払いというケースが、これまでに多々見られてきた。また明らかに要保護に該当する人々自身も、「どうせ保護を受けるのは無理だろう」とか、「窓口でプライバシーのことを色々と言われていやな思いをしたくない」とか、「世間に対して恥ずかしい」等の理由で、そもそも福祉窓口に来ない場合が多い状況が、同時に存在している。あるデータによれば、被保護世帯と同等、もしくはそれ以下の生活水準にありながら、生活保護を受給していない世帯の率(漏給率)は、1982年で75.7%、1999年では82%にも上るという(朝日新聞2006年1月29日朝刊 また下記『貧困・不平等と社会福祉』(有斐閣)第8章)。つまり1999年には、保護基準に該当する「貧困」世帯の5世帯に4世帯以上は、保護なしで生活しているということになる。


漏給率がこれほどまでに高い理由の1つは、人々の権利意識の低さや知識の乏しさなどと並んで、上でも挙げたような心理的なためらいによるところが大きい(社会学用語では、保護に付与される「スティグマ」、「恥辱感」などと言われる)。


また一方で、上にも書いたように、制度を運営する行政機関、すなわち窓口担当者やケースワーカーの側が、申請を認めずに門前払いするケースが多々ある。彼ら行政職員が申請を断る際に依拠する根拠は、生活保護法の第4条である。ここでは、困窮する人々は保護の申請をする前に、次の3点を努力する義務があるとしている。そしてその3点の努力が足りないと窓口やケースワーカーがみなした場合、そうした人々は保護を受けることができない。3点の義務とはすなわち


1 親やきょうだいに助けてもらうこと
2 自分の持っている資産(家具とか)を「活用」すること(売り払うこと)
3 働ける人は、仕事を探すこと


の3点である。これらはそれぞれ「扶養義務」、「資産活用の義務」、「稼働能力の活用の義務」と呼ばれている。4条のこうした定めに従い、「実家から仕送りをもらいなさい」、「別れた夫に養育費を請求しなさい」、「家財道具を売り払って食べていきなさい」、「働けるでしょう、仕事を探しなさい」などと言われ、申請を認められないケースが非常に多い。


ちなみに4条はこのあとで、「(上記3点の諸義務)規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない」と、要保護者への一定の配慮を見せてはいる。しかし現実では、困窮する人々のニーズよりも、自治体や国の財政状況が優先される傾向が、これまで多く見られてきた。


換言すれば、戦後福祉国家の理念として掲げられた「生存権」が、これまでの日本においては、その実現からは全くもって程遠い状況に置かれてきたといえる。生活保護制度の不備を一因とした貧困や餓死、心中、自殺などの悲劇は、常に私たちと隣り合わせに存在してきたのである。


ここでホームレスの人々に話を戻すと、明らかな困窮状態にあるにも関わらず、生活保護制度の利用に消極的な彼らと、またその一方で、彼らが窓口に来ても申請を認めない行政担当者の、双方のケースがそれぞれ典型的であることが指摘されている。これらの担当者が申請を断る理由として最も多いのが、上記3の「まだ働けるんだから仕事を見つけなさい」というものである。こうした意見の背景には、「ホームレスの人たちは、仕事を探そうともせず、ブラブラしている」といった行政側の偏見があることも多い。


また同時に私自身もまた、街中で見かけるホームレスの人々に対して、「ホームレス」として、すなわち「私たち」とは違う、「異質な存在」として見てしまうことがある。こうした私自身が持つ偏見に、果たして何か正当な根拠というものがあるのだろうか。すなわち彼らは「異質な存在」として「私たち」から区別されてよいものだろうか。こうした問いに対して、彼らのそれまでの人生や、彼らの置かれた現在の状況を理解することなしに答えることは危険である。彼らの生の声を聞いてみたい、そう強く思うようになったわけである。


生活保護制度と貧困問題について参考になった本
・『母さんが死んだ しあわせ幻想の時代に』水島宏明著、ひとなる書房、1990年(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938536412/qid=1149177907/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/503-4871977-7696747

・『貧困・不平等と社会福祉』庄司洋子・杉村宏ほか編、有斐閣、1997年(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641071780/qid=1149178018/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-4871977-7696747


ホームレス問題について参考になった本
・『ホームレス/現代社会/福祉国家 「生きていく場所」をめぐって』岩田正美著、明石書店、2000年、(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750312665/qid=1149178172/sr=1-13/ref=sr_1_2_13/503-4871977-7696747