音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

修論計画についてプレゼンする。


私の所属する研究科には、修士課程2年生向けの、特別授業がある。それは6月と9月の2回、研究科の先生方の前で、自分の修士論文の計画について30分ほどプレゼンテーションを行うというものだ。修士論文を書く2年生は、必ず参加しなければならない。つい先日、その第2回目のプレゼンを終えてきた。いくつか違う風に答えておけば良かったな、というのはあったが、何とか無事に終わらせることができて良かった。あとは修論を書くだけだが、ここから修論提出までの道のりが、まだまだ長そうだ。


6月にもうすうす気づいていたのだが、今回改めて、同じコースの他の学生と自分の研究分野の、毛色の違いを実感した。他の人たちの研究テーマは、たとえば「〜市のまちづくりの現状」、「〜ダム開発の影響について」、といった社会調査系の研究、もしくは「外国人教育の現状」、「フランスの暴動について」、といった国際社会学系の研究がほとんどだった。「現状」についての「社会学」研究についてプレゼンする彼らのなかで、「過去」の「イギリス」についての「思想」研究についてプレゼンする私は、かなり浮いていた・苦笑。でも日本の優性思想史についてプレゼンしてたゼミテンもいい具合に浮いてたので、これは私の問題というよりは、私の所属するゼミの特色と言えるのかもしれない。


私の所属するゼミほど、バラバラなテーマで各人が研究してるところは、大学院では他にないかもしれない。先輩方の過去の修論のテーマも、カルチュラル・スタディーズ、労働社会学、農業社会学社会保障民法研究などなど、非常にバラエティー豊富である。この幅の広さが良いところでもあるのだろうが、私自身は自分の興味をもう少し狭く、深く学べる先生の下につくことも必要かと思い、大学院に入学した去年の4月から、イギリス経済思想のゼミをサブゼミに選んだ。結果的に研究上、良い相乗効果を生んでいると思う。


しかし辿りついた私の修論のテーマは、大雑把に言えばイギリス自由主義の福祉思想という、どちらかといえば政治思想よりのテーマになってしまった。プレゼンの授業で浮かんだのは、社会学のゼミに所属してて、サブゼミが経済学で、そして自分自身が勉強してるのは政治思想という状況は、果たして望ましいのだろうかという問いだった。実際、プレゼンの間に先生方から飛んで来た質問は、ホブハウスとデュルケームとの関係は、とか、ホブハウスの社会学史上の位置づけは、といった、純粋に社会学的な質問で、修論の内容とはあまり関係ないものだった。これでうまく修論を書けたとしても、もし研究を続けることになった場合に、自分の研究分野がいったい何だろうということで、けっこう悩むことになるのかもしれない。