音楽友に、今日も安眠

某大学教員の日記

地元の友達と飲む+会話について


昨日は久しぶりに実家に帰って、高校時代の部活の友人と飲んだ。実家は丹沢の麓の、神奈川とは思えないド田舎にある。高校時代はこんなとこ早くオサラバして東京デビューしたいと思ってたけど、今は戻って来るたびに空気は美味しいし山は見えるし、やっぱり故郷はいいな〜と感じる。


最近は昔の友人に会うと、彼らの人間としての成長っぷりに感心してしまうことが多い。昨日4年ぶりくらいに会った友人の1人などは、中学校の数学の教師になっていた。2年目にして40人学級の担任を持たされてるという。「たった2年目で担任!?めちゃめちゃ大変でしょ?」と聞くと、確かに大変だけど、副担任しか任されなかった去年は、行事などがあっても生徒と感動を共有できなくて歯がゆかった。今は担任になってすごくやりがいを感じている、という答えが帰ってきた。そういえば高1のときから先生になりたいって言ってたなあ。そんなことも思い出しつつ、すでに教師の風格を身にまとった彼が頼もしかった。


ところで昨日の飲み会に来てた友人は、私以外はみんな既に社会人か、今年から社会人になるという者ばかりだった。彼らの会話は、何というかとても軽やかだ。真面目な話をするときも常にぼけと突っ込みなどの笑いを織り交ぜたり、体験談を面白おかしく脚色したり、かと思うとパッと他の人に話を振ったり、あるいは突然話題を変えたりする。まさに会話のキャッチボールというか、ジェットコースター的な会話を楽しむといった感じで、普段大学で接する人たちとの会話とは、良い意味でも悪い意味でも、全然ノリが違うなあと感じた。というか、高校まではこういうノリの会話が普通だったよな。最近の私の話し方は、いちいち物事を考えようとするためにテンポが悪い。もうちょっとこう、軽やかに話したいものだ。


書いてて思ったけど、こういう会話ってけっこう面白い社会学のテーマになりそう。例えば今回は高校時代の友人だったが、これが小学校、中学校時代の友人になると、また会話の内容や形式は全然違ったものになる。あと昨日感じたことだが、同じ人物でも就活前と就活後では、話し方が微妙に変わったりする。こういう日常会話の内容と形式に違いを与える影響として、ジェンダー、出身階層、年齢、就活体験の有無(とその時代で求められている労働者像)等々、いろいろな社会的要因の影響が見えてくるだろう。文化論なんかも関わってくるのかも。うーんだめだ、もう頭が完全に院生だ。。。